当事者が語り部化してアンタッチャブルな存在になる
加藤文宏
はじめに
学生で活動家の鴨下全生氏によって、有害なデマとして名高い原発事故にまつわる被曝と鼻血との関係が蒸し返された。しかも、レジ袋や洗面器に鼻血を受けざるを得ないほど出血した子供が、いつ、どこにいたのか問われても頑なに説明を拒み続けている。彼は他の話題でも、私は事実しか話していないと言いながら出来事を証拠立てる具体的な情報をまったく語らない。
馬鹿げた話で、誰も真に受けないなら放置しておけばよいのだろうか。
会員制記事では鴨下氏および一家の言動から矛盾点を抽出して整理したが、当通常版記事では情報災害がいかに発生したか、その構造的な問題を「当事者性」と「語り部」に注目して論考する。
当事者かつ被害者になろうとする人が多いのはなぜか。当事者や被害者に擬態する者まで居て、大袈裟な話をしたがるのはなぜか。
(『鼻血デマと公務員宿舎明け渡し裁判をまとめる』🔗の無料公開部分で、鴨下家の自主避難の謎と矛盾を列挙したので、興味のある方は読んでいただきたい)
鼻血と当事者性と話題性
被曝被害の症状を語るデマのなかでも、鼻血デマが劇的なまでに拡散された理由をあきらかにしよう。
原発事故が発生した2011年に、幾度となく被曝症状としての鼻血が話題になった。
では、なぜ他の症状ではなく鼻血だったのか。
1975年秋から翌年の春まで放映されたテレビ番組『赤い疑惑』は、被曝による白血病をテーマにしたドラマで、山口百恵演じる主人公が怪我をして腕からの出血が止まらなくなるシーンがあった。後年、腕からの出血が鼻血と混同されて原発事故後の鼻血デマを生んだという説がある。
このほか漫画『はだしのゲン』で被爆者が白血病になり吐血する描写を鼻血と混同して記憶されたという説や、原爆投下直後の広島で被爆者を診察した肥田舜太郎が講演などで鼻血を語っていたのが浸透したという説がある。1970年代の小学校では鼻血を流す子に被曝、白血病などと囃し立てる同級生がいたと思いでを語る人もいた。
これらから、半世紀前には被曝と鼻血が結びついていたと言ってよさそうだ。
放射線は目に見えないので、地震や津波のようには語れない。そこで目に見えない放射線を可視化するため鼻血が持ち出されたのは間違いない。被曝による健康被害がまったく現れなかったため、鼻血デマを吹聴して原発事故の被害を甚大に見せかけたのだ。
被害を甚大に見せかけるデマとしては、毛髪がごっそり抜けたと語るデマもあった。しかし髪が抜け落ちた人が被災地を紹介するニュース番組にも、新聞の報道写真にも登場しないため、嘘をつき続けるのが難しかったらしく鼻血ほどには浸透しなかった。鼻血は一過性のものだから人目につかなくて当然で、鼻血を流す人が一人もいないと否定するのは無理があり、鼻血を告発する人がいないのは情報が統制されているせいだと、いくらでも陰謀論を語れるのが好まれたのだろう。
当初「たらりと流れる」くらいの表現だった鼻血デマは、さらに刺激を求めて2011年12月の朝日新聞連載『プロメテウスの罠』では布団を赤く染めるほど大袈裟になり、洗面器いっぱいの出血をしたと言う人まで現れた。大人でさえ1リットルも出血すれば生命の危機であり、子供なら半分以下でも死に直結する。ちなみに洗面器の容量は約3リットルだ。
そして忘れてはならないのは、鼻血を流すのは被曝した当事者であることだ。
原発事故直後の3月14日、Yahoo!知恵袋に投稿された噂話は、現地の人から聞いた話を夫が電話で語ったと前置きがあり、原発から40キロメートル圏内の人が続々と鼻血を流しているとされた。避難指示が出なかった範囲の人たちに健康被害が出ているという意味のデマだ。東京新聞が5月に報道した記事で被曝によって鼻血を流したとほのめかされたのは福島県郡山市の子供だった。前述の『プロメテウスの罠』で鼻血を流したのは東京都町田市の小学生で、証言者は母親だった。
その場にいた誰かが鼻血を流す人を見たと言ったり、自分が鼻血を流したと言う当事者性が、鼻血デマの信憑性を支えて話題性を高めたのは間違いない。しかも鼻血を流したと語る本人だけでなく、我が子が鼻血を流したと証言する親を嘘つきと責めにくい。こうして鼻血デマの支持者は当事者性を動かぬ証拠とし、否定派はどこか腰が引けた状態で言葉を選びながら批判したのだった。
鴨下全生氏と彼の母親美和氏の鼻血にまつわる証言も、福島県いわき市から避難してきた家族という当事者性を背景にして語られたものだった。
当事者から語り部へ
鼻血デマは、歴史的な出来事の「語り部」について様々な問題を提起している。
語り部とは昔から語り継がれている民話や神話や歴史を伝承している人だが、狭義では歴史的なできごとを公的な場で体験談として話したり、報道にたびたび取り上げられて体験を語る人のことでもある。双葉郡双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館にも震災と原子力災害の体験を語る語り部がいるほか、阪神淡路大震災を伝える語り部、広島県と長崎県に投下された原子爆弾の被害を伝える語り部、東京大空襲の経験を伝える語り部がいて、多くの人がどこかで語り部の言葉を聞いた経験があるのではないか。
鼻血デマを流布した人も、どこで何回語ったか関係なく語り部であった。
記念館や自治体の活動で語る人たちでさえ、語り慣れてくると聴衆の関心が高まるポイントを意識して、語る熱量の比重を高めるという。関西に自主避難したある女性は反原発講演会の常連講師になり、受けがよかったり期待されている話題に費やす時間を増やして、やがて体験を大袈裟に語り、いわゆる「話を盛る」ようになったと、彼女らと接点があった人物が証言している。私も自主避難者との会話で同じ経験をした。
支援者である活動家は、これら自主避難者を利用して事実より過大な原発事故の被害を伝えたが、体験談が口述とあって内容を検証しにくく、検証して批判しようものなら「当事者しか知らない事実」「事実が広まらなかったのは圧力がかかっていたからだ」と一蹴した。当事者である語り部そのものが、エビデンスとされたのだ。
こうして語り部は個人の選択、境遇、立場などを正当化し、語り部を採用した組織や集団は彼らが行う社会運動、政治、裁判などを正当化した。
これをまとめると以下の図のようになる。
当事者性という密室
語り部と当事者性が切っても切れない関係にあるのを前章で説明した。
語り部活動で語られるデマや風評加害行為を検証しても、「当事者しか知らない事実」と一蹴されがちなのは、語り部の体験がプライベートな出来事として密室化されているからだ。
鴨下全生氏と母の美和氏が語る鼻血の逸話は、いつ、どこで体験したものか説明がない。全生氏は鼻血を流した子供のプライバシー保護を理由に答えられないと言うが、鼻血を流した人の氏名など個人情報がわからないのだから、時と場所を説明したところで子供や親の秘密にしたい情報を暴露することにはならないはずだ。
さらに一家は2011年3月12日の早朝、福島第一原発の建屋が水素爆発を起こす8時間程前に自家用車で自主避難を開始し、父親の祐也氏が二重生活を送ったわずかな期間を除いて一家は関東で暮らしているので、いったい「どの出来事の当事者」であるか疑問が残る。他の地域ほど地震被害や津波被害で生活に大きな差し障りがないにもかかわらずいわき市を離れた震災自主避難者ではあるが、原発事故の自主避難者としては微妙な立ち位置にある事故前避難者で、福島県に在住している人々との関係では同等の当事者ではない。
だが『鼻血デマと公務員宿舎明け渡し裁判をまとめる』の無料部分を読んだ人から、公開情報であっても一家の生活実態を問うのは差し控えた方がよいという声があがった。
全生氏も鼻血に限らぬさまざまな発言を批判されると、当事者として事実を語っているにもかかわらず中傷され攻撃されたと態度を硬化させた。
宗教の信者家庭に育った子弟の証言も、同様の問題を抱えがちだ。
信者家庭の子弟が虐待を受けていると当事者が告発している。これらの全てが疑わしいわけではないが、ある信者家庭を取材して検証したジャーナリストは虐待が発生した背景や内容がおかしいと指摘している。
私が取材した例でも、親の信仰を継承しなかった無宗教の男性が「ある子弟が語る被害は、宗教団体の実態からかけ離れている。信者家庭の子供は、反抗期に問題が発生したとき親の信仰のせいにしがちだ。マスコミに取り上げられて、期待されるがままに話を盛っていると感じた」と、自らの少年時代を重ね合わせて語った。
また彼は「それは宗教問題ではなく、親子問題だろうと感じる人がいても、言いにくい雰囲気があった。当事者が語っているので反論しにくく、他人の家庭の事情には踏み込みにくいし、被害を訴える人には同情してしまう」とも言った。
旧統一教会(世界平和統一家庭連合)、エホバの証人、幸福の科学、創価学会等の信者に話を聞いたが、彼らは当事者であるが故に、各宗教を批判する(異なる立場の)当事者に対しての発言権が奪われていると指摘する。信者家庭の子弟問題は幸福の科学やエホバの証人などから始まり、旧統一教会が注目されて世の中が騒然としたが、マスコミは被害を訴える子弟を繰り返し取り上げたものの、彼らと意見を異にする子弟からの声は無視した。
これは原発事故後の報道でも見かけた光景だ。
鼻血報道しかり、処理水放出でも特定の漁民ばかりが語り部として登場した。この結果、この漁民の感情と意見を多数の人々が漁業関係者の総意と誤解したままになっている。
当事者性・語り部化・デマの発生と利用
世の中には余人が知り得ない複雑な事情があるため、一つの現象から全てを語るのは慎まなくてはいけない。
だがいわき市にあった鴨下家の自宅が、ALPS処理汚染水差止訴訟原告団事務局として使用されてきたのは偶然ではないだろう。原告団の代表は丹治杉江氏で、さらに武藤類子氏ほか反原発活動家とも当然のように鴨下家の人々は接点を持っている。鴨下祐也氏が公務員宿舎の明け渡し拒否のため孤軍奮闘していたわけではないのだ。反原発派のうち鼻血デマを肯定するいつもの顔ぶれが揃うあたりに、コミュニティーの狭さを感じる。
またいわき市の自宅が原告団の事務局として使用されていただけでなく、団体が使用する電話の市外局番がいわき市のものだったことからも、鴨下家の人々はいわき市で生活や活動をしていても被爆して健康を損ねないのを知っていたことになる。
反原発運動を例に取り、一般論として整理しよう。
組織や集団は当事者の発見に努め、個人は体験や心の屈託から当事者性を意識した。こうして語り部が生まれたのである。そして語る目的と語らせる目的は、組織や集団の意向に沿うものになった。
語りは内容が盛られたり感情的な物語に成りがちだった。事実を曖昧にして、感情を強調するため、エビデンスが欠如したまま体験談が語られた。当記事では「鼻血の体験談」を例として説明したが、これらはデマとなり風評加害そのものとなった。
体験談を検証して批判すると、語り部は「批判は中傷。当事者を傷つける」と言う。エビデンスが欠如した体験談は、語り部の選択、境遇、立場などを正当化するため使用され、組織や集団が行う社会運動、政治、裁判などを正当化した。
そして個人的で感情的な体験談は、普遍的な事実として扱われるようになり、歴史上の事実の一部に組み込まれてしまう場合もある。
以上をまとめたのが次の図だ。
アンタッチャブル化する個人的で感情的な物語
あらゆる出来事のすべての当事者と、語り部に問題があるのではない。
しかし当事者性は個人的で排他的で独占的なもので、しかも語り部の語りは事実そのものではない可能性があるため、社会は両者を注意深く扱わなければならない。だが、個人的で排他的で独占的であるがゆえに、語り部と語り部を使用する組織や集団はアンタッチャブル化しやすい。
いまどきナラティブやオーラルヒストリーと呼ばれるものの危うさに筆者が気付いたのは、前述した自主避難者の語りが盛られたのを知るよりだいぶ前のことで、創業社長の半生伝をまとめたり、企業広報にまつわる仕事を担当していたときだった。
社長の何人かは日経新聞連載の『私の履歴書』の取材を受け、紙面に半生がまとめられていた。半生伝を書くにあたり社史や、社長が業界紙に寄稿した記事などを調べると、『私の履歴書』に書かれている内容と大きく違っている場合があった。いざ社長に取材すると、『私の履歴書』の内容をトレースするような話ばかりが出てくる。日経新聞の取材を契機に、記憶が置き換えられてしまったかのようだった。
ある創業家四代目から話を聞いたときは、秘書から事前に「社長の代からXX市で創業したことはなかったことになりました。都内で創業の老舗と社長が言っても、下手な質問をしないでください」と釘を刺された。
同じように戦争、災害、大事件や騒動で感情が強調されたエビデンスに欠ける語りが歴史上の事実にされてはまずい。
当記事では、社会全体が警戒すべき「仕組み」として当事者性と語り部について説明した。問題が発生したときは、エビデンスを提示して批判するのが最善策だが、鼻血デマがマスメディアを味方につけて猛威を振るっていたとき、信者家庭の子弟問題で世の中が騒がしかったとき、批判者は劣勢に立たされ社会の敵と目され発言権を奪われた。
かなり改善されたとはいえ福島県への風評加害は終わらず、信者子弟問題では情報の修正さえ困難なままなのである。これが当事者性と語り部問題の現状だ。