日記:好奇心を広める
普段会話をしていて思うことがある.なんか,この人にはワクワクが無いなと.達観したような,何か諦めているような,疲れているような,そんな気がする.
ただ,僕のいる学科の人はどうも,そうではないひとが少しだけ多いらしい.
よく新しいものを見つけては感動のあまり何がすごいのかを小一時間話していたり,不思議に思ったものをずっと考えていたり,学んだことを時々ネタにしてみんなで笑いあっている.
知るということに貪欲で,楽しんでいる,そこにはワクワクがある,そう感じた.
驚きが減っている
生きているだけでいろんなものに慣れてしまう.
小さなころにはあれほど長く「まだ? まだ?」と母親に急かしたカップ麺の待ち時間も,今や片手にスマホを持って動画を見たら一瞬のように感じられる.空を見上げても,空がどうして青いのか,飛行機雲はなんでできるのか,なんて興味がなくなってしまう.
当たり前のことや目に見えないことに目が向かなくなってしまう.無駄を省くことは社会で生きていくには良い成長なのかもしれない.わかりきっているものをまた考えるのは馬鹿馬鹿しいことかもしれない.
でもそれらを思い返してよく見ると,じつはいろいろな事柄を知らずにものを温めていたり,色を感じる原理をあまり知らなかったりする.
それを深く見つめてみると,ふいに日常のあらゆるものに興味がわいてくるかもしれない.
「訳に立つこと」の呪い
訳に立とうとするとがすべてではない,これはもう使い古された言葉だろうか.
訳に立つことは確かにいいことだと思う.ものが役に立てば,その人は便利に過ごすことができる.自分が誰かの役に立てば,評価が上がるかもしれないし,その人も助かる,もしかしたら感謝されるかもしれない.
ただ,そうやって役に立つことが素晴らしすぎるあまり,そう思うことが絶対の価値基準になっていないだろうか.自分がそう思えないものを,できるだけ排除して生きていないだろうか.
そうやって無駄と呼ばれる部分をそぎ落とすことによって,心の余裕がなくなってしまって,辛くなってはいないだろうか.
「楽しい」を広める
これはよくある言葉だが,お金や競争だけが人生ではない.
ただ,そんなことを言われたって,生きるためにお金は必要だし,生きていたら比較されてしまうこともあると思う.それによって辛い思いをすることも多分出てくる.
僕は学問という世界を発信することによって,ワクワクする気持ち,不思議に思う気持ち,人を豊かにする「好奇心」を広めていけたらと思う.
日常の喧騒を忘れられるような,まわりが少しだけ見れなくなるぐらい,好きなことにワクワクする感情を思い起こす手掛かりになれれば僕はとてもうれしい.
微力ながら活動を頑張って続けていきたい.
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