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言語と数学:数学は「国語」から生まれた

こんにちは.はじめましての人ははじめまして.mosse_sanです.

最近,財布の中身がなくなって本に変化していました.いい本があったら気がつかないうちに手に取って歩いているんですよね.
また贅沢ができない……って感じましたがそもそも本を買うためにバイトをしているのと,贅沢してもあまり満足できずに意味がないことを思い出しました.全く問題なかったですね.

さて,今回はもしかしたら嫌いな人もいるかもしれない「数学」についてやっていきます.といっても,数式なんて出てきません.出てくるものは人と,あと指です.


ものの個数は「ぱっと見このくらい」

「数」は,いわば人が歴史の中で生み出した発明です.ではそれが無い時代,人はどうやってものの数を数えていたのか.

実は,もともと人は言葉によって「3」までは数えることができるのですが,3より多くなった途端「いっぱい」になってしまって,正確に数えることが出来なくなっていました.

ものをなんとなくぱっと見や,形で並べるなどの工夫があったらしいですが,やはり数えるのには無理があったのではないかと思います.

ものを数えられないというのは実は現代でも見られる特徴で,ある言語には「3」までしか数字がありません.

原始人は「3」,数学は「4」

さて,先ほど人は「3」まで数えることができると述べました.では,それはなぜかを考えてみましょう.

ここで大切になるのは,自分自身を示す「一人称」,話している相手のことを示す「二人称」,その他のことを示す「三人称」です.

自分自身のみのことを考えるときは,食料などは一つでいいので,「1」が生まれます.話す相手がいるときは,相手のことを示すものと二つのものを半分にわけあうことで「2」が生まれることになります.そして自分と相手以外の第三者の存在を知ったとき,それを示す言葉が必要になり,結果的にその他という意味の「3」が生まれることになります.

例えば,
「あいつの持っている肉うまそうだな」
というときは,話している自分,話を聞いている相手のほかに,自分たち以外を示すために「あいつ」という語を用いています.
これによって3人目が俺らに何かしら影響があり,言葉が生まれる必要性があることが分かります.

じゃあこの調子で4も,と言いたいところですが,これがなかなか難しい.というのも,その他を示すために三人称を用いているため,わざわざそれを拡張する必要性が言語的にはあまりないのです.
もともとない概念や必要のない概念を新しく生み出すことが難しいため,4がでてくるのは3が生まれたかなり後だと言えます.

4からが数学であるというのはこのためです.数について考え始めた4こそが数学の始まりの証だと言えるのではないでしょうか.


ここでおすすめの漫画があります.数などへの言及もそうですが,古代の言語ってこんな感じなんだろうなーっていうのを感じられる面白い本です.話自体もかなり惹かれる内容になっているのでぜひご覧ください.

現代数学の「国語」の必要性

ここまでは数字が生まれる過程について示していきました.しかし時代もだいぶ進みました.もう国語などいらないし,人によっては「数学と国語なんてだいぶ違うじゃないか」と憤るひともいるかもしれません.

しかし,現代においても数学の国語の重要性は大きいです.最近の数学は発展がめざましく,特に国語の重要性は増してきています.
もっと強い言葉を使うと,国語ができないと数学はできるようにならないか,もし今できていてもいつか理解力が頭打ちになります.

論理は数学に関わる国語の要素です.「~ではない」や「ならば」,「したがって」など,数学では多くの国語の論理的要素が含まれています.数学は国語を使って論理展開をしているのです.

また,数式の意味を読み取ることも重要になってきます.記号が何を示しているのかを言葉でちゃんと説明することが,数学を正しく扱うことに繋がっていきます.意味の読み取りは国語の領域です.

数学の基礎をしっかり作るための分野である数学基礎論の定義づけでは特に言葉による定義を行っていきます.最終的には記号ばかりになりますが,その記号はやはり国語によって定義されるわけです.


いかがでしたでしょうか.実は国語ができる人におすすめできる「数学」,敷居は少しだけ下がったのではないでしょうか.
しかし,今回は数学の魅力を十分に伝えられたわけではありません.
数学を研究している数学者は一体何に惹かれているのかを共有出来たらいいなと思います.

論理を極めたい人におすすめの本です.


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