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短編小説「CSP -キャリア・サクセス・プログラム-」


【1】
 惰性のように眺めていたSNSのタイムラインに流れ込んだ画像に気管が激しく反応した。『あのヒダパズがスマホで! ヒダパズぽけっと 事前登録受付中!』慣れ親しんだ煙に思わず噎せ込んで、直樹はすっかり温くなった缶コーヒーへ慌てて一口を付けた。甘ったるくて、缶の臭いがする。それでも直樹は、事務所に設置された大仰なエスプレッソマシーンから出てくるものよりも、この味が好きだった。これを味わうためにわざわざここに来ていると言ったところで過言ではない。それにしても、『ヒダクエ』で冒険したあの仲間達がスマホゲームのガチャから排出される姿を思うだけで、コーヒーは一段苦くなった気がする。
 直樹は口直しのように肺の中いっぱいに吸い込んだ煙を、静かに吐き出した。人気の少ない喫煙所内には薄く一筋の煙がけぶった。電子タバコの、薬品の溶けた油のようなにおいが充満している。
 本社ビルがここカスミサカに移転する前、ドウボウチョウにあった頃の喫煙所は屋上にあったのだ。こんな薄暗い、穴倉のような地下室では無かった。空気は冷たくても、吹きすさぶ風に吹かれながらも、時には傘を指してでも、直樹は煙草を吸いに通っていた。何度かに一度は、ニコチンよりも開放感を摂取しに行っていた。
(それにしても、あのヒダパズがスマホゲームか)
 地下から一階までは、階段で上がる。ここでエレベーターを使わないのは、しきりに運動不足を指摘してくる妻への言い訳である。たったの一階分、それでも毎日続けているのだから誉められていいのではないかと、直樹は思っている。実際、それだけでも億劫なのだ。
 一階からは、エレベーターに乗る。二十一階のボタンを押して直樹は息を整えるのだった。階数表示のモニターの下の、時刻は十八時の五分前。まだ定時ではない。時差出勤のため、直樹の退社時間は十九時である。
 会議室21-01号室。薄暗い廊下の先で、その部屋の電気だけがついていた。二十一階の暗い廊下を歩いていると、田舎の夜道が思い出される。あの頃。専門学校の帰り道、東京のネオン街の話に花を咲かせたものだった。
「失礼します」
「ああ、中島さん。お疲れ様です」
「すみません、お待たせしましたか」
「とんでもない、今来たところですよ」
 谷中は彼のノートパソコン越しに、時間どおりですしね。と言って歯を見せずににっこりと笑った。直樹は、この笑顔が好きではない。
「早速なんですが、中島さん、CSPってわかります?」
「えーと、社内報で見たような……」
「そうですね、先週末に人事からメールが行ってたかと思います」
「……すみません、なんでしたっけ」
「キャリア・サクセス・プログラム。結論から言うと、中島さんに行ってもらいたいんです」
 谷中はくるりと手元のパソコン画面を向ける。人事部の資料が表示されているが、文字が小さい。人材開発、しか読み取れない。訊ねる前に、谷中が説明を始めた。
「新しい研修プログラムです。四十歳以上の社員が対象なんですけどね。該当社員が居るグループから一人ずつは選出して欲しいと言われてまして」
「平林さんじゃなくて、私なんですね」
「調べたら平林さん、今年で三十九歳だったんです」
「そういうことですか、わかりました。行きますよ」
「ありがとうございます! 嫌だって言われたらどうしようかと思いました」
「……ちなみに、どういう内容なんですか?」
「私もよく知らないんですけど……ネクストリフトの新しい研修らしいですよ」
「研修ですか?」
「はい。ベテラン社員の能力をより引き出す新プログラムだそうです」
 谷中はネクストリフト社のホームページを開いて直樹に見せた。谷中が素早くスクロールして該当箇所を探すが、上下に動く背景のせいで、直樹は少し酔いそうになった。
「なんかこのホームページ、エレベーターみたいですね」
「みたい、というかエレベーターなんですよね、元々」
「え?」
「聞いたことありませんか? 軌道エレベーター」
「軌道エレベーター……って、宇宙エレベーターのことですか?」
「ああ、そう、宇宙エレベーターです。二年……三年前かな。けっこう大きいニュースになってましたよね。覚えてます?」
「会社名までは覚えてませんでした」
「いや、社名は変わってるかもしれないな……とにかく、ここの研修なんですよ」
「なんでまた、エレベーター会社が研修なんて――」
 訊ねようとした時、谷中の携帯が鳴った。
「あ、すみません――はい、谷中です。はい……はい! お世話になっておりますー、いえいえ大丈夫ですよ。どうかされました?」
 谷中は直樹に目配せをして、片手で手刀を切った。微塵たりとも申し訳なさは感じられない。やはりこの男はどこか苦手だ。直樹は微笑に努めて会釈をすると、21-01号室を後にした。


【2】

【御挨拶】
本日はネクストリフト-キャリアサクセスプログラムにご参加いただきまして、誠にありがとうございます。

本プログラムは2日間に及びまして、
みなさまがこれまで企業で培ってきたスキルに改めて気づき、
今後のキャリアをより良いものにしていくためのプログラムとなっております。
これまでに500名以上の方に受講いただいておりまして、
皆さんもご存知のサニーポリー社、旧朝陽器械株式会社様にも大変ご好評をいただいております。

申し遅れました、私、本プログラムのご案内を務めさせていただきますカシマと申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

【エレベーター内のご案内】
まず最初に、エレベーター内のご案内を申し上げます。
お飲み物は、自販機を無料でご利用いただけます。
お手洗いは、右手後方にございます。
途中、まれに宇宙酔いをされるお客様がいらっしゃいます。
万一ご気分が優れない方はお手元の緊急ボタンを押してください。速やかにスタッフが参ります。

【軌道エレベーターについて】
続きまして、軌道エレベーターにつきましてご案内申し上げます。
軌道エレベーターのご利用は初めてだというお客様はどのくらいいらっしゃいますでしょうか?

夢の技術と言われた軌道エレベーターは、
ネクストリフトが独自に発見した素材「ポリアトン」によって実現しました。
現在では国内に3機、国外では1機のみ稼働しております。
今回皆さんに載っていただいているエレベーターは3機目にあたりまして、
最も小さなものです。

なお、詳しくはお手元のパンフレットをご覧ください。

【アンケートのお願い】
最後に、皆さまに一点お願いがございます。
事前にお配りしておりますQRコードより専用ページにアクセスいただき、
3分程度のアンケートのご回答にご協力をお願いいたします。

それではα3階へと着きますまで、約30分となります。
暫しの間、快適な宇宙の旅をどうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。

【到着前アナウンス】
本エレベーターはあと5分ほどでα3階へ到着いたします。
お忘れ物のございませんよう、お手回り品のご確認をお願い致します。
なお、事前アンケートのご入力がまだの方がいらっしゃるようですので、
どうぞご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

到着後のご案内を申し上げます。
本エレベーターが完全に停止した後、わたくしカシマがお迎えに参ります。
席を立たずにしばらくそのままでお待ちください。