不幸になりたがる人たち/春日武彦

読了日2019/11/19

不幸になりたがる人々の内面を、
精神医学的見地から分析してみよう!
みたいな内容だと思っていたのでそこは残念。
本当は人格障害についての本になるはずだったらしいので、
テーマが少しぶれてしまったのかもしれない。

本書は著者が出会ったまたは新聞やニュースなどで見聞きした、
いわゆる「妙な」人々の話である。
その「妙な」という観点を著者は「グロテスクな」と考える。
私が思うグロテスクは内臓とか血みどろなのだけど、
著者のいうグロテスクは違う。
理解しかねるけれども根底にはどこか自分に通じるところがあって、
何かの拍子に自分もそうなってしまうのではないか。
という同族嫌悪に似たものを感じる。

「猫おばさん」なんてものが本書には出てくる。
ある海外小説のワンシーンなのだけど、
ある女性がわたしはこうはなりたくないと語る。
いわく、
「猫を1匹飼うのは悪くない。仲間が増えるのだから2匹もいい。3匹目も問題はない。でも4匹目を飼った時点で、その人は一線を超えてしまい、猫おばさんになる」
というのである。

は?

何を言うのだろうか。
海外小説のワンシーンだから日本人の私とは価値観が違っていて理解できないのかしらん。
困惑した。
だが話は続く。
女性は語る。
「友達がいなくて、家から出ることもなく、死後に家から何十匹と猫が出てくる人ってこと。もしくは一見ふつうに見えたのに、放火とか強盗とかするような人」

どんな偏見を訳知り顔で語るのだろうかと思うのと同時に、
どこの国でも若い女というのは年老いた同性の姿を見るにつけて、
しかもそれが自分の人生の未来には決してしたくないという決意を込めて、
侮蔑感情で語るのだなと思った。
そういう女こそそうなる可能性は高いんだぞとわが身を振り返り、
かつ「殺人鬼フジコの衝動」なる小説を思い出す私。

唐突だが私は魔女が好きだ。
魔法を使う方の魔女というよりは、
森の奥深くに黒猫とともにひっそりと住んで、
時折村の人間から薬草の調合を頼まれる不思議な存在というものに憧れている。

ところでそういった魔女が現代にも存在するとなれば、
上記の若い女性が語る「猫おばさん」とはまさしく魔女を指すのではないかと思う。
むかしは薬草についての知識なんて経験で得るしかなかっただろうから、
森の奥深くでその経験をひたすら溜め込んで村人に還元する女性というのが魔女だったんじゃないか。

でも村の女からすれば、
そんな田舎の片隅でオシャレすることもなく男に媚を売ることもなく、
ただ草を育てるだけの猫と同居する女というのはやはり「変わって」見えたのだろう。

こうした魔女と呼ばれる人々が現代に舞台を移すと「猫おばさん」になるんだろう。
残念なことに現代では薬草の知識はおろか医療は専門機関が出来てしまい、
その知恵を頼る人がいなくなってしまったから、
相互利用の価値もなくなった魔女はただの変わった人にならざるを得なかったんだろう。

将来の私かな?(田舎で猫2匹と同居中)

また本書には不幸の先取りという話も載っている。
ちょっとした体調の異変が実は難病なのではないかと不安がる人の話である。
じゃあその人は「難病じゃありませんよ」と診断されたら安心するかというとそうでもない。
「この医者は見落としているのでは?」と不安を(勝手に)あおられて、さらに疑心暗鬼に陥る。

どうしろと。

お医者様は偉大だ。
こんな患者も診なきゃならないなんて……。

もっともその気持ちはわからないでもないのだけど。
病気になると周りの人が優しくしてくれるっていう子ども時代の記憶があって、
大人になった今、
優しくしてくれる周りの人がいなくなってしまった人がそうなってしまうのかなあとか思う。
どうすれば優しくしてもらえるか考えたとき、
命に差し障りはないのだけど難治性の病気になんかなったら周りの人が気を遣ってくれるんじゃないかとか、
考えちゃうのかもね。

それでいうと私もだけど女性の生理痛ってのはそう受け取られるには最適なのかもしれない。
もちろん生理痛には重大な疾患が隠れているのかもしれないけれど、
毎月やってくる痛みは壮絶だが死には至らない。
男性とか生理痛のない女性が生理痛に苦しむ女性をバッシングする背景には、
こんな理由もなくはないんじゃないかな。

理解しかねるけれども根底にはどこか自分に通じるところがある。
そういう他人を見たときに著者は「グロテスクさ」を感じるらしいので、
その基準に私自身を当てはめるとすると、
周りの人をぐるりと見渡すだけで私にとっては「グロテスクな」人々かひしめいているように思う。

嫌悪感とはまた違う、というのがネック。
その裏返しの自己投影に似た感覚、
とも著者は語るのだけど、
そもそも自分にまったく似ていない人間を探す方が世の中難しくないだろうかと思ったあまのじゃくが少なくともここにいるのでした。

ちなみに本書でいちばん著者が好きになったところは、
年賀状をもらうのは好きだけど書くのは大嫌いというところ。

これを私は安易に「わかる」と同意してみるのだけど、
ボキャブラリーの貧弱かつ適正な言葉で代用できない知性の持ち主であることをアピールしているわけではないことをどう伝えればいいか悩んでみて、
たどり着くのはあらかじめ初対面の人に自己紹介する
「私は頭が悪いので言葉が伝わらなかったら申し訳ないのですけど」
という本人的には謙虚でも自己紹介を受ける側からしたら卑屈以外の何物でもない、
本書の副題「自虐指向と破滅願望」をこれでもかと長文で訴える私みたいな女は多分著者は嫌うだろう。

真性の自虐指向破滅願望女でした。

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