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私の沖縄時代の話〜幼少期〜

こんばんは。

今回は私の生い立ちについて話したいと思います。
沖縄から出てからの話が多かったので、沖縄にいる時の話をします。

家族構成

生まれは沖縄の那覇市。
三人兄弟の末っ子として生まれました。

父親が34歳、母親が33歳の時の子供で、当時からすると遅めに生まれた子供でした。
周りの友人のお母さんは若くて羨ましいなと思っていました。
それもあり、自分は16歳で結婚して子供を産んで若いお母さんになろうと密かに思っていました。
(この野望が叶わなくて今は良かったと思ってます笑)

でも、よく周りからはお母さん美人だね!とか綺麗だね!と言われていたのが嬉しかったです。

兄は2人いて、5個と6個離れています。
よく周りからは離れていると、可愛がられたでしょう。と言われますが一切そんなことはありませんでした。
今思えば兄たちに感謝です(o´艸`)

鍛え抜かれた幼少期

兄たちとは歳が離れているのであまり会話をすることもなく、怖い存在でした。

5歳なる前までは、甘やかされ、ぶりっこでした。ある日1番上の兄に勘違いするんじゃないばりに言っていただいたので甘えたら怒られる!と思って甘えるのをやめました。
それでもまだ子供なので、お父さんにはベタベタに甘えていましたが、それがバレると怒られていました。

兄たちとは、たまに遊ぶこともありましたが、大体プロレスごっこやエアガンを撃つという激しい遊びでした。
※ファミコンのゲームもちゃんと健全にやってました笑

ケンカばかりしていてもちろん力ではかなわず、いつもやられてばかりだったので、これは強くなければ生きていけない!と思いもありました。
あと、ちょうど当時はオリンピックで柔道が盛り上がっていたので柔道を習いたい!と母親に言いました。

近くに柔道教室がなく、母親が見つけてくれたのが、極真空手の道場でした。
同じ道着だからいいか!と軽い気持ちで通ったらとんでもなく厳しい世界でした。
これについては、別で紹介したいと思います。

同時にピアノも小学校3年生から高校3年生まで習っていました。
部活を始めてからはほぼサボっていましたが(--;)

小学校時代は兄たちのおかけでたくましく育ったものですから男には負けたくない精神で溢れていました。
空手のおかげもあり、精神面でかなり鍛え抜かれました。

中学校から高校時代は部活しかしてこなかったのですが、それについてはまた別で書いていきます(*゚▽゚)ノ

高校を卒業すると巣立っていく

諸見里家はなぜか高校を卒業すると、みんな遠くへ巣立っていく傾向にあります。

1番上の兄は英語もできないのに、アメリカのロサンゼルスに留学をしました。
いとこがいるので叔父さん叔母さんにお世話になりながら6年間アメリカに住んでいました。

その後は名古屋に行き、京都、福岡を経て今は沖縄に戻っています。

2番目の兄は、高校卒業後は北海道の専門学校に通いました。その後は沖縄に戻りますが、今は愛知にいます。

子供たちが好きなことややりたい事を自由にやらせてもらっていて両親には感謝しかありません。

中学校時代の話は次回また書きます☆

それでは、次回お楽しみに♪

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