「山田錦の身代金」第一章「三億円の田んぼ」第二節 その三

「第一発見者から、事情を聴取していた」
「そないな些事は、我々に任せて下さい」
 余計なことをするなと、顔に書いてある。
「いや、問題ない」
 短く切り捨てた。相手の顔が、少し強張るのがわかる。だが、あえて玲子は無視した。
「それで、向こうの様子は?」
「現場検証は、だいたい終わりました。鑑識の岩堂さんが引き上げてええか言うてます。一応、警視にも了解をいただこうと」
 面倒くさいが、渋々といった様子だ。
「了解した」
 勝木課長は、サッと踵を返しかけ、一瞬だけ足を止めた。ちらっと、田んぼを見渡す。
「ふん、雑草だらけ。ひっどい田んぼや」
 背の高い稲と稲の間に、雑草がふさふさと茂っている。
「こんな田んぼで、たった五百万円。田んぼボロけりゃ、身代金もせこい。チンケな犯人や」
 あてつけるようなだみ声の呟きに、秀造の顔が強張った。ギュッと、唇を噛み締めている。
 何か言うかと思った瞬間、先に葉子が口を開いた。見かけによらず、沸点が低いらしい。
「何も知らないくせに! 勝手に決めつけて。適当なこと言わないでください!」
 小柄で華奢な雰囲気に似合わず、大きな声、激しい口調だ。勝木課長が、少したじろぐほど。なかなかの剣幕だ。
「この天津風の田んぼは、世界一の日本酒『天狼星 純米大吟醸 天津風』の山田錦を作ってるんです。警察官のくせに、そんなことも知らないんですか!」
 葉子の目が、三角になって吊り上がっている。
「ヨーコさん、それは……」
 先を越された秀造も、葉子の勢いに、当惑しているようだ。
「世界一の酒?」
 玲子も、田んぼを見回してみる。
そう言われれば、背が高く、大粒で立派な稲だ。ただ、確かに雑草も多い。世界一の田んぼなのかどうか、玲子には判断がつかなかった。
 葉子が、田んぼの前に仁王立ちして、続けた。
「いいですか? この田んぼでできた酒米から、四合瓶一本百万円の純米大吟醸酒が造られるんです。純米大吟醸酒、四合瓶一本造るのに必要なお米は、約一キロちょっと。一反当り六俵、三百六十キロの玄米が取れます。だから、この田んぼから、三百本の純米大吟醸酒が造れるんです。つまりこの田んぼは、三億円以上の価値があるんです!」
「三億円?」
 勝木課長の目が、丸くなった。
「一反、三十メートル四方で、三億円やて?!」
 めったに動じない高橋警部補も、驚いている。一方、富井田課長は、同感らしい。わざとらしいくらい大きく、うなずいている。
 秀造はどうかと、ちらっと顔をのぞいてみると、意外なことに当惑顔だった。
 やがて、勝木課長が、気を取り直した。苦笑いして、肩をすくめる。
「普通の田んぼやないのは、ようわかった」
 そして、玲子に向き直り、改めて敬礼して見せた。
「なんにしても、たった五百万円程度の事件じゃ、警視殿の高い時給には、見合わん事件やと思いますな」
 どうやら、それが言いたかったらしい。
「まっ、農道のビデオに犯人の車が、映ってるやろ。捕まるのは時間の問題やな」
 勝木課長は、再びぐすりと笑ったかと思うと、クルリと背を向けた。さっさと、歩き去って行く。所轄に任せて、引っ込んでいろと言うことだろう。
 そのとき、勝木課長の後ろ姿に、意外な大声がかけられた。
「何、言ってんだい。犯人は、農道なんて使ってないよ」

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