「山田錦の身代金」第一章「三億円の田んぼ」第二節 その二

 秀造が、三人に駆け寄る。すぐ横に立って、紹介を始めた。
「第一発見者のお三方です。こちらは、山田葉子さん。それから、矢沢トオルさんとタミ子さん。通称、おかあさんです。ヨーコさんは、元料理雑誌の編集長で、今はフリーの日本酒と食のジャーナリストです」
「日本酒と食のジャーナリスト?」
 葉子が、微笑みながら、うなずく。
「毎日、飲んで、飲んで、食べて。たまに、書いてます」
 瞳をキラキラと、輝かせた。
 言葉通りだとすると、かなりいい身分と言える。
「ヨーコさんは、週刊誌に酒蔵の連載を書いてるんです」
 葉子は、小顔でパッチリした瞳。健康的な肌色で、黒髪をショートカットにしている。
「こちらの親子は、東京の居酒屋のご店主。たった二人で、五十席の店を切り盛りされてます」
 横で、高橋警部補が目を丸くした。
「なんと。毎晩、五十人の客をたった二人で?」
 老女将が、余裕の笑顔でうなずく。息子は、黙ってはにかんでいた。服装は仕事着なのだろう。
「それは、凄い」
 唸っている。
 玲子には、五十人の客が入る居酒屋も、二人で店を回す凄さも、わからなかった。興味もない。
「兵庫県警の葛城警視だ。それと高橋警部補」
 玲子は、自分と後ろに従っている部下を、指し示した。
「ここの第一発見者だそうだが?」
 三人が、うなずく。
「秀造さんに、草取り体験をさせてもらいに来て、見つけました」
「なぜ? わざわざ草取りなんか。普通、頼まれたって、やらないだろう」
 葉子が、重々しく首を左右に振った。
「そんなことありません。特級クラスの日本酒を造る米の田んぼですよ。草取りさせてもらうのは、凄い名誉なんです」
 背筋を伸ばし、胸を張っている。
「何が名誉だって?」
「草取りが名誉なほど、価値がある田んぼなんですな」
 高橋警部補が、田んぼを見渡しながら、うなずいた。
 車で、田んぼまで送ってもらったと言う。三人で草取りをしていて、トオルが見つけたらしい。
「ここ、凄くいい田んぼなんだけど、草取りは草取りなんだよね。少しやったら飽きちゃって。腰も痛くなったから、あぜに上がってブラブラしてたら、裏手の角が凹んで見えたのよ。それで、見に行ってみたら、稲が倒れてたってわけ」
「やっぱり、あんた、さぼってたんだね。まったく、こんな遠くまで、草取りしに来たのに、何やってんだい」
 タミ子が、トオルの頭を後ろから、小突いた。
 トオルは、大きな肩をすくめて見せた。苦笑いしている。
「それで、こりゃ大変だって、思ってさ。急いで、ヨーコさんに教えたわけ」
「で、私が秀造さんに連絡しました」
 それが、一時間ほど前のことだった。
 秀造が、三人の話の後を、引き取って続ける。
「ちょうど、この手紙を受け取ったところでした。半信半疑で、どうしたものかと悩んでるとこに、電話があったんです。ちょっと変だなとは思いましたが、急いでここに来てみると、この有様でした」
「それで、通報されたんですな?」
「そうです、高橋警部補。警察に知らせるな、とは書いてなかったので」
「賢明な判断です」
 鑑識官の経過報告では、犯行は夜明け前、まだ暗いうちだろうと言うことだった。
 ここに毒をまき、その後、烏丸酒造に寄った。直接ポストに脅迫状を投函した可能性が高い。土地勘のある犯人だ。
 車の走行音に気づくと、農道を白いハイブリッド車が、飛ばして来る。見る間に近くなり、玲子の乗って来た覆面車の後ろに急停車した。ドライバーが、弾き出されるように転がり出て、あぜを走り出した。ここに、来るつもりらしい。
「トミータさん?!」
 知り合いらしく、秀造が眉をひそめ、彼の名を呟いた。

 トミータと呼ばれた男は、まっしぐらに秀造に駆け寄り、叫び出した。
「烏丸さん、烏丸さん。大丈夫ですか?」
 返事を待たずに、毒をまかれて枯れた田んぼに目をやった。
「こっ、これですね! うわあ、メチャクチャ過ぎる。いったい誰がやったんですか? こんな、恐ろしいこと」
 小柄で、小太り。小ぎれいに刈上げた髪型は、清潔感満載。まん丸い黒目は離れ気味。低い鼻と相まって愛嬌ある顔は、ぬいぐるみの熊に似ている。瞳は、クリクリと忙しなく動き、勢いよく捲し立て始めた。
 小男の勢いに圧され、秀造は言葉を発せない。ただただ、うなずいている。何かの拍子に、小男が玲子に気づいた。こっちに向き直って、サッと頭を下げる。
「警察の方ですね。県庁農林水産振興課の課長、富井田哲夫です。農水省から出向で、こちらに来ています。天津風の田んぼが、大変なことになってると聞き、取るものも取りあえず、真っすぐここに飛んで来ました」
 一息に、説明し切った。練習していたかのよう、立て板に水だ。
「こちらは葛城警視。本庁からの出向。自分は、高橋。警部補です」
「ありがとうございます。こちらの任期はいつまでですか?」
 富井田課長が、玲子に聞いてきた。
「あと二年半くらい」
「そうですか。それなら、僕と同じくらいだ。どうぞ、トミータと呼んで下さい。それにしても、田んぼに毒まくなんて、ホントやることが人間の屑です。田んぼの被害はもちろん、環境汚染にもなりますし」
言い終えるなり、今度は第一発見者の三人に気づいた。
「あれっ?!ヨーコさんじゃないですか」
 今度は、三人に駆け寄った。どうやら知り合いらしいが、落ち着きのない男だ。
「なんと、トオルさんとおかあさんまで。こんなところで、何をしてるんですか? 危険だし、捜査の邪魔です。さっさと帰ってください」
「わたしたち、第一発見者なんです」
 葉子の言葉に、富井田課長が、目を丸くした。一瞬、言葉に詰まる。
「草取りに来て、たまたま見つけたんです。それよりトミータさんこそ、なぜ、ここに?」
「脅迫状の話を、聞きつけまして。心配になったんで、真っすぐここに飛んで来ました」
「そうかい、あんたも心配性だねえ」
「いや、おかあさん。それほど、でもないです」
 富井田課長は、恥ずかしそうに頭をかいた。
 そこへまた、ドタバタと足音が近づいて来た。今度は、赤ら顔の中年男だ。
 所轄の兵庫県警播磨警察署の捜査一課長、勝木道男。 この捜査の責任者だ。中年で、中背。筋肉質のがっちりした体格だが、下腹が緩んでいる。
「警視、こないなとこで、何してはるんです?」
 少し息を切らし、額に汗を浮かべている。


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