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幸せって急に訪れる。その幸せのために、今日も生きる。

こんにちは、こんばんは。モロヘイヤです。

さて、今日はイケア神戸からのお届け。フードコートのキッズたちの走り回る音とケタケタ笑う声が微笑ましくて、ついつい顔が綻ぶ。こどもっていいな。

さてさて、本題。今週はとてもいいことがあった。声を大にして言いたいからもう一度言おう。とってもいいことがあったのだ。

それはというと、トルコ留学時代に知り合った「友人」が日本に遊びに来ていたので、合流し、3年ぶりの再会に心踊らせながら食事を共にできたのだ!

「友達」としたのは、たった1日一緒に過ごしただけの間柄だからだ。

日本に来たのはトルコ人男子3人。3人とも社会人1年目。

3人のうちの2人と、私はあるきっかけを通して知り合った。

遡ること2020年3月、トルコ留学中、
私は日本から遊びに来てくれた弟とカッパドキアに旅行に行っていた。

帰り道、空港がどこだったか覚えていないが、飛行機からタラップで降り立ち、ちょっと歩いたところで、弟が何やら女の子と話していた。
まもなく私も合流し、お話ししてみると、女の子は台湾人で、トルコに留学中であることがわかった。しかもイスタンブルに住んでいるという。

「私もトルコで留学してて、イスタンブルに住んでいるよ!」すぐに打ち解け、連絡先をたしか交換し、その日は別れた。

数日後、女の子から連絡をもらった。「台湾人とかトルコ人とか友達たちとみんなで集まるから、よかったらモロヘイヤも来ない?」たしかこんな内容だった。

私は二つ返事でOKし、日本人の友達を2人誘って街に繰り出した。待ち合わせ場所は「バブルティー」のお店。バブルティーとはタピオカドリンクのことだ。

台湾人主催の集まりに相応しい場所だななんて思いながら向かうと、お店には10人弱の大学生が集まっていた。

冒頭で話したトルコ人男子2人とはそこで出会った。

みんなでタピオカドリンクを飲みながら談笑したあと、誘ってくれた台湾人の女の子の家に会場を移した。お酒やらお菓子やらを食べながら、「ホウレンソウ」ゲームをするなどし、とても楽しかったのを覚えている。

夜も更け、私は日本人の友達2人とトルコ人2人とお家を後にした。とても楽しかったね、またみんなで会おうねなんて言っていたと思う。私だけ途中で帰り道が別になったので、トルコ人男子2人とハグをしてお別れし、そのあととても夜道が怖かったのを覚えている。10人くらいでわいわい過ごしたあとの一人での夜の帰り道は否応無しに怖いし寂しい。

それが2020年3月の半ばだった。

それから約10日後、コロナによる影響で、日本への最終直行便でトルコを離れなければならないことになり、私の留学生活はあっけなく終わる。
台湾人たちやトルコ人男子2人との出会いは、文字通り一期一会だったのだろうな、仕方なし、なんて思っていた。

時は戻り、2023年。トルコ人男子2人が友達1人を連れて日本にいるという知らせを受け取った。

私は一度インスタのアカウントが消えてしまった(このことは過去のnoteでも少し書いた)ので、日本人の友達が教えてくれ、つないでくれた。

最初、東京でみんなで会うというので、私も強行突破で急遽週末帰省することを検討したが、少し考え、「大阪にも観光しに来るのなら、私は大阪で会えればいいや!」と思いつき、トルコ人にきいてみたところ、関西にも来るという。

「大阪で会おう!」月曜日の夜、私は仕事終わりに大阪に行くことになった。

大阪駅での待ち合わせは日本人同士でも難しいのに、初めて大阪に来る外国人とどうやって待ち合わせようなんて考えていたけれど、彼らが大阪城からメトロで東梅田駅に来るというので、東梅田駅の改札前に待ち合わせ場所を設定し、一件落着。トルコで1日一緒に過ごしただけの「友人」らとの3年ぶりの再会にはなんとも心が踊る一方、日本人は私1人で、会話はもつのだろうか、盛り上がるだろうかなんて心配と緊張もたくさんあった。

東梅田駅の改札の前では退勤後のサラリーマンたちがせっせと歩いていた。ドキドキバクバクしながら待つこと約10分、背の高い外国人が歩いてくるのが見え、すぐに彼らだとわかった。私の方から近づき、久しぶりの再会に込み上げる嬉しさを表情で表現したものの、なんて言おうか迷う。とっさに「Selam!」(セラーム、トルコ語で「やあ」(こんにちはの口語バージョンみたいな)といい、一人ずつとハグして挨拶を交わした。

久しぶりのトルコ人とのトルコ語での会話時間が始まった。

私は最初に言い訳を言っておくことにした。「最近トルコ語をあんまり話していないから、私のトルコ語は聞きづらいこともあると思う、ごめんね」と。「いやいや、話せてるじゃん。でも英語でもいいからね」と3人は優しく応じてくれた。

大阪駅は本当に難しい。ホストである私が案内しなくてはいけないのに、まるでわからず、とりあえず地上に出て、歩きながらお店を探すことに。

歩きながら、その日までの日本での旅行のことを聞いていると、どうやらすでにたくさん観光し、日本食もたくさん食べていることがわかった。彼らは2週間にわたる日本旅行の折り返し地点にきていたのだ。

さて、何を食べよう。串カツも天丼もうどんもすしも食べたというし、「Izakaya」にも行ったという。大阪といえばお好み焼きなのだが、宗教上豚肉を食べない彼らにはナンセンスかもと思い、そうすると他に何がいいんだ…と考えること約5分、焼肉が思いついた。

「焼肉って食べた?」「食べてない。行ってみよう!」

私たちはちょうどすぐ先にあった牛角に入った。

私が主導して豚肉以外の美味しそうなお肉を選んだ。BBQのようなものだから特別新しいことではないだろうと思ったが、彼らには新しくうつったようで、焼くのも私が担当した。

タンは「普通」、カルビについては「おいしい!」との反応。正直な反応がおもしろかった。

旅行中にお箸の使い方も少しずつ覚えたようで、3人ともお箸を使ってご飯を食べていた。お箸を持つ手を注意深く見ながら必至にご飯を口に運ぶ姿がなんとも健気で、私は一人にやけてしまっていた。(たぶん彼らにはバレていない。)

「そもそも私たちなんでトルコで知り合ったんだっけ?」「今は何してるの?働いてるの?」「日本で食べたものの中で美味しかったのは何?」
関係性からしてそんなに深い話にはならないものの、久しぶりの再会がただただうれしく、トルコ語(と少し英語)を使ってコミュニケーションを取るのもただただ楽しかった。

腹7分目くらいでお店を後にして、2軒目へ。3人とも日本酒が好きだと知り、日本酒のお店を探し歩いた。

狭い路地を歩いた先にあった小さい日本酒のお店に入り、2次会がスタート。

お店の人もカウンターで飲んでいたおじちゃんも、外国人男子3人と日本人女子1人という不思議な組み合わせに興味を持ってくれて、みんなでお話ししながら2次会が進んでいった。

お互いにお猪口に日本酒を酌んであげたり、「カンパイ!」の合図で飲んだり、日本文化を紹介し、それを彼らが楽しんでくれるのがうれしかった。

時間はあっという間に流れ、時刻は23時近く。彼らの旅行は続くが、私は次の日も仕事。帰らなければならない。

彼らとハグをしてお別れし、帰路についた。(この続きも少しあるが、それはまた気が向けば書くとしよう)

家に帰ってから、なんと楽しかっただろうと思った。そして思った。幸せってほんとに急にやってくるな、と。あ、これよしもとばななが言ってたことだ。

「その時の設定や状況とは全く関係なく、無慈悲なくらいに無関係に、幸せというものは急に訪れる。どんな状況にあろうと、誰といようと。ただ、予測することだけが、できないのだ。自分で思うままに作り出すことだけができない。次の瞬間には来るかもしれないし、ずっと待ってもだめかもしれない。まるで波やお天気のかげんのように誰にもそれはわからない。奇跡は誰にでも平等に、いつでも待っている。」

『デッドエンドの思い出』(よしもとばなな)

(『デッドエンドの思い出』は最近読んだ小説の中で一番のお気に入りとも言っていい。何回も読み返したいと思える文章たちで溢れていた)

トルコ人男子2人とまた会えるなんて頭の片隅にもなかった。でも「その時」は急に訪れた。望んでいた訳でもないし、予想していた訳でもないことが、時として急にやってくるのだなと思った。

でも思えば、幸せって思う瞬間っていつも予想できている訳ではないかもしれない。「その時」が起こるまで、自分が幸せになるかは誰にもわからない。

これからもきっとたくさんの「急に訪れる幸せ」が溢れているだろう。そう思うとワクワクするし、私はその予想できない幸せのためにこれまで生きてこれたし、これからも生きていけるのだと思う。

心がふんわり、いやたしかに高揚した1日だった。

また会う日まで。

(思いつくままに書いたらかなりの長文になってしまった。ここまで読んでくださった方がいたら心からの感謝を伝えたい。)

2023/07/02 モロヘイヤ

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