記者人生、神戸ではじまるの巻。
お久しぶりです。モロヘイヤです。
初任地・神戸での社会人生活を始め、早くも5ヶ月が経とうとしている。
今私は記者として働いていて、仕事で文章を書くので(といっても文章を書く時間を1割とすれば、あとの9割はひたすら人に話を聞くという感じ)、趣味で文章を書かなくなってしまった。
決して書きたくないわけではなかった。むしろ決められた型にはめて文章を書くのではなく(仕事での記事には割と型がある)、羽を広げて自由に自分の心赴くままに文章を書くことに飢えていた。ただ、仕事で疲れて、時間があっても買い物したり友達と会ったり動画観たりで時間はあっという間に過ぎていった。
ようやく、今日、溜まっていた「書きたい欲」が私の中で爆発し、夜ご飯を早めに終えて今は夜の8時半を回ったところ、私のお気に入りプレイス「コメダ珈琲」にやって来て、パソコンのキーボードをたたいている。「この感じ、久しぶり。」心の高揚を覚える。こんなに心躍るのに、なぜこの時間をしばらくの間作っていなかったのだろう...社会人最初の刺激的な毎日を色鮮やかにことばにしておけばよかったと少し後悔…(日記はときたま手帳に残しているが、それさえも残せない日々が最近は多くなった...)
さて、新天地での生活は日々「新しい」の連続で、常にワクワクしっぱなし。やっぱり私はどんな場所でも楽しめるなあと実感する。
それは多分、大学で身につけたところが大きい。トルコという国と出会い、留学して長期間滞在し、自分からトルコのことを知ろうとすればするほどトルコのことが好きになって、今でもまだずっと片想い中(汗)トルコに感謝、大学に感謝。
今の神戸でも同様、神戸というまちを知ろうとすればするほど、「このまち、とってもいい」という感情を日々自分の中で育み、ここで住むことを楽しむことができている。
「置かれた場所で咲く」という好きな言葉があるけれど、「置かれる」という受け身の行為を悲観的に捉えるのではなく、「咲く」という能動的な行為を讃えたいと思うのだ。私が自分で神戸を選んだわけではないけれども、縁があって住むことになった神戸をとことん楽しもうじゃないか、と。こういう心持ちというか習慣を体得できたのは、大学までの学生人生で得た大きな財産だと改めて思う。
もちろん客観的に見ても神戸はいいまちなんだろうけど。海も山もあって、港町で昔からヒトモノを外国から受け入れてきた歴史があるから、今もその名残で外国人がたくさん住んでいて、外国料理のお店がたくさんあって、異国情緒を感じられる場所があちこちにあったり。ちょうど今、私の隣の隣のテーブルに座っている関西弁を話す女性が「神戸は絵になる場所がたくさんあって、たとえば旧居留地とか、ええまちだなあって。」と話している。うんうん、ええまちよなあ、とつい会話に入りたくなった。
兵庫県という枠に広げて捉えれば、播州織、姫路レザー、日本酒、丹波黒豆などなど、土地に根ざした産業が豊富で、さすが「五国」から構成されるだけあるなあ、と。開拓しがいのある場所で一年目を迎えられ、私はラッキーだ。
とはいえマイナスな部分から目を逸らさないようにもしたい。まちへの好き度が増せば増すほど、盲目になりやすい。トルコでもそうだった。日々社会で問題は山積しているし、それによって苦しんでいる人たちがいるのに、まちのいいところばっかりつい目に入ってしまう。改善されるべき問題から目を背けてしまう。その方が楽だから。自分が苦しい立場にいたら周りに助けてほしいと思うと思うけど、いざ自分が人生楽しい側にいると、苦しんでいる人に手を差し伸べないなんて、そんなアンフェアなことあっていいのか、と私は思うのだ。言葉だけじゃだめなのは百も承知で、でもこの思いは常に忘れたくない、自分なりになんとなく昔から思ってきたことだ。
有難いことに、今の私の仕事はその思いを生かせる可能性が多分にある。社会で私含めみんなが見ないフリをしていることを見える化する、それが今の仕事の一つの大事な要素だ。もちろん面白い人や将来性のあるプロジェクトを社会に発信して、もっとワクワクする世の中を作っていこう、というポジティブな仕事もたくさんあるし、それによって助けられている人も多くいる。ただこの5ヶ月間、1年目なりにもいろんな種類の取材を経験させてもらって、気づいた。私は割と、社会で埋もれて苦しんでいる人や社会の中で知られていない問題、知られていない感情に向き合うことにやりがいをより感じやすい。まだあまりうまく言葉にできないけれど、そういったことに直面すると「自分ができることをしたい」って思う。自分の心がより動くのを感じるのだ。楽しいとか嬉しいじゃない言葉に表せない感情なのだけど、心がただただ動くことを感じる。
なんだか語ってしまったが、もちろんまだまだ仕事を分かった気にはなっていない。自分が本当にやりたいこともまだまだ探し中だ。これからさらにいろんな人に出会って、いろんな分野の取材を経験することで、自分が本当にやりがいを感じられる場所を見つけたい。当面の目標だ。
ただ、仕事始めたばかりの生の感情を記して、年齢を重ねた時に原点を振り返るための材料になればと思い、書いてみた次第。
久しぶりのnote、なんだかいつも通りまとまりのないものになった気もするが、思うままに文章を書く楽しさを思い出せただけで有意義だった。また細々とこのnote続けていきたい。
余談:前回の投稿後、インスタグラムのアカウントが凍結された。理由は未だに不明だし、凍結されるようなことは何もした覚えはないんだが...インスタグラムの好きじゃないところを綴ったのがいけなかった?(笑)いいところも一応書いたけどなあ...(笑)あれはあれでその時に考えてたことを自分なりに文章にまとめられていたと思うから、今更消さないけど、なんだかばちが当たったような変な気持ちになったじゃないか...(笑)インスタグラムのアカウントには大学生活の日々の感情をたくさん書き連ねていたから、それが全て消えてしまったことがとてもショックだったし、旅行先や留学先で繋がった人との交流も不可能になってしまったから、今もたまにふともやもやする。突然復活したりしないかなあ...未練を抱えたまま、今日も世界各地にいる友人に想いを馳せる。
2022/09/18 モロヘイヤ
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