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大学サボってフィリピン行ってきた①イロイロシティ編

今年のGWはフィリピンに行ってきた。
久しぶりの海外渡航。
目的はフィリピンに住む友人に会いに行くこと、
というのは建前でとにかく海外に出たかった。
コロナ禍や受験のおかげでかれこれ2年近く日本を出ていなかったのだ。

2月下旬、厚生労働省が水際対策の新たな措置を発表。ワクチン3回接種済みの日本人は帰国後の隔離が免除されることになった。厳しい条件付きではあるが、実質海外旅行が解禁されたということになる。
ただ、夏休みを待っている間にコロナの状況が悪化すれば日本はまた鎖国するかもしれない。
善は急げ。この瞬間、GWに海外に行くことが決まった。GWには大学の授業もあったが、、まぁいいだろう。

パスポートの更新、海外用ワクチン接種証明書の取得、海外旅行保険への加入、フィリピン検疫局への登録、そして出国前PCR検査と陰性証明書の取得。
コロナ禍ということで、渡航前にやるべきことがいつもより沢山あった。特にワクチン接種証明書は自身の3回目接種の記録が反映されるのに時間がかかり、かなり大変だった。

日程は4/30から5/10までの11日間。
首都であり交通の中心でもあるマニラを拠点にビサヤ諸島やルソン島北部の山岳地帯、そして同島南部ビコール地方を訪れる。

オレンジ線は長距離バス、水色の線は航空機での移動

東京からイロイロシティへ

まず僕が向かったのはパナイ島のイロイロシティ。知り合いのフィリピン人が住んでいる街だ。彼らは6年ほど前に交換留学で日本を訪れ、静岡の我が家に滞在したことがある。その後は主にInstagramでやりとりをしていたが、対面で会うのは本当に久しぶりだった。

イロイロシティには当然日本からの直行便などない。まず成田から首都マニラに飛び、そこで国内線に乗り換える必要がある。

コロナ禍で航空便の本数は減少しており、乗り継ぎが悪かったため、意外と時間がかかった。
成田からマニラまでが4時間半、入国審査や空港での乗り継ぎ待機時間が3時間、そこからイロイロシティまで1時間半のフライトだった。朝の9時半に成田を出てイロイロについたのは午後6時半だった。

空港を出ると早速熱帯特有のもわっとした空気に包まれた。気温は30度で湿度も高い。久しぶりに熱帯の空気に晒されてやっとフィリピンに来たという実感が湧いた。

フィリピンの友人、レイからメッセージが届いていた。空港前のバンに乗り、市内中心部のショッピングセンターまで来てほしいとのこと。
彼はイロイロシティでの僕の滞在をホストしてくれるということで非常に張り切っており、ありがたいことにホテルの手配から朝食のデリバリーまで全てやってくれていた。

ロビンソンプレイス。市内で最も大きなショッピングセンターの一つだ。 

待ち合わせ場所にはレイともう1人の友人、リエゴが待っていて、3人でそのまま夕食を食べた。手で食べるタイプのフィリピン伝統料理だった。
2人は日本に来た時は大学生だったが、レイはエンジニア、リエゴは最近司法試験に合格し弁護士になっていた。 
流石、日本に国費渡航できただけあってかなりのエリートたちだ。彼らは僕が大学で何を学んでいるのか聞いてきたが、うまく答えられなかった。

受験勉強で勉強への熱意はとっくに無くなっていたし、大学で特に学びたいこともなかった。きっと彼らよりずっと恵まれた環境にいたのに、目的も持たず堕落した生活をしていたことを恥ずかしく思ったし、もうちょっと主体的に勉強を頑張ろうと切実に思った(が、行動はしていない。)

フィリピン伝統食を満喫した後は、3人で夜のイロイロシティを散歩しそのまま賑やかなバーに入った。
爆音BGMがガンガンに流れていてまともに会話できなかったが、美味しいお酒と音楽でいい気分になった。ちなみにここでは18歳からお酒が飲めるので”合法”である。

左からレイ、リエゴ、僕。大変顔色が悪い。

リエゴは次の日にマニラで司法試験合格祝賀会があったのでここで解散した。
翌日からは引き続きレイが僕を案内してくれる。明日は彼の家族とギマラス島に連れて行ってくれるとの事だ。

マンゴーの島、ギマラス

次の朝、部屋のドアを叩く音で目が覚めた。レイがフードパンダで朝食を注文してくれていた。

ロンガニーサ

これまたロンガニーサというフィリピン料理とのことだが、とても美味しかった。
フィリピン料理の特徴としてはとにかく肉、特に鶏肉が多く、野菜が少なく、そしてご飯が美味いということが挙げられる。肉は大好きなので最初は美味しく食べていたが流石に飽きて途中から中華料理に通うようになっていった。

待ち合わせ場所にはレイとその彼氏サンジが待っていた。ジプニーに乗って港に向かい、そこで家族と合流する。ジプニーとは昔米軍が使っていたジープを改造したもので、現地では公共交通機関として使われている。

ジプニーはフィリピンのシンボルの一つだ。

安くて利便性も高いというが、外国人が乗りこなすには難しい。ジプニーが走るルートは旅行者には全くわからないし、乗車に際しては独特なルールがある。結局我々が1人の時にはタクシーかバイクタクシーを使うしかない。

港でコロナ関連の書類を書いてから乗船した。
イロイロの港からギマラス島までは15分ほどで到着する。ギマラス島はマンゴー栽培で有名な島だが、日本には輸出されていないのであまり知られていない。大きさは淡路島と同じくらい。コロナ禍で長らく閉ざされており、観光客、特に外国人がここを訪れるのは数年ぶりだったらしい。

一日かけてギマラス島を巡ったわけだが、特に印象的だったのが美しい海だった。フィリピンで海が綺麗な場所といえばセブ・ボラカイ・エルニドだが、ギマラスだって負けていない。しかもここはあまり人に知られていないので美しいビーチを独り占めしている気分になれるだろう。

ヌエバ・バレンシアの美しいビーチ

シュノーケリングやビーチ遊びをしながらレイとその家族と仲良くなれた。特に甥のルイス君(5歳)は最初は心を開いてくれなかったが途中から懐いてくれてとても愛しかった。

左からサンジ、ルイス、レイ、僕

最後にギマラス島名物マンゴーピザを食べた。
マンゴーとチーズ、奇妙な組み合わせだが案外美味しい。恐らくここでしか食べれないので是非行ってその味を確かめてほしい。

マンゴーピザ。ギマラスのマンゴーは甘くて美味しい。

イロイロシティに戻るともう日没が近づいていた。
ルイスとたくさん遊んで疲れていた僕は街を少しだけ散歩してから早めに寝ることにした。
明日はイロイロシティの名所を紹介してくれるとのことだ。

イロイロシティの夕焼け。この街には外国人はほとんどおらず、歩いているだけで結構浮いてしまう。

この旅最大のトラブル

翌朝起きると、iPhoneの画面が真っ暗なまま動かなくなっていた。”でも焦る必要はない。バルカン半島を旅した時、同じようなトラブルを経験していたからだ。こういう時は強制再起動をすれば治るのだ。”
こう呟きながら自分を落ち着かせようとしたが、肝心の強制再起動がうまくいかない。”本当に壊れたのか!?”
ボタンを連打したり、冷房に当てて本体を冷やしてみたり色々試すもiPhoneはついに動かなかった。 サーッと血の気が引いていくのがわかった。
スマホが使えないと旅行どころか帰国さえできなくなるかもしれない。スマホにはデジタルワクチン接種証明書が入っていたし、宿の予約から航空券の予約まで全てインターネットで行っていたからだ。

ホテルのロビーのお兄さんのスマホを借りてiPhone強制再起動のやり方を改めて調べさせてもらった。日本語キーボードには対応していなかったので、英文を日本語に翻訳してそれをコピーアンドペーストして調べるというなんとも手間のかかる作業だったが、結局強制再起動のやり方が間違っていることがわかり、iPhoneは無事元に戻った。

今の時代、スマートフォンなしでは旅ができない。
このようなトラブルはいつでもあり得るので、海外に行く際にはトラブルへの対応方法をメモしておく必要があると思った。また、できれば予備のスマホを持って行きたい。

イロイロシティツアー

この日はレイがイロイロシティの名所を案内してくれる。まずはレイの家を訪れ、イロイロの家庭料理をご馳走してもらった。

イロイロの家庭料理。ギマラスで買ったマンゴーも食べた。

春巻きやパンシット・モロ(水餃子)、パンシット・カントン(中華焼きそば)など、イロイロの家庭料理は中華の影響を大いに受けている。
レイ曰くイロイロシティは昔から中華系の影響が比較的強い街で、レイとのその家族もフィリピンと中国とスペインの混血だということだった。

午後はまずジプニーを乗り継いで市内のモロ教会を訪れた。スペイン統治時代に建てられたゴシック様式の美しい教会だ。珊瑚礁と石灰岩で作られているそうだ。

モロ教会(聖アンナ教会)

次に、ラパス地区の中央市場へ。イロイロ発祥というラパス・バッチョイというラーメンを食べた。
これがなかなか美味しい。ついさっき昼食を食べたばかりだったにも関わらず完食してしまった。

ラパス・バッチョイ

あとはハロ教会やイロイロ博物館を訪れたが、ここでは省略する。イロイロシティは日本では無名の街だが、意外にも見どころが多かった。

最後にレイが連れて行ってくれたのはイロイロシティで一番大きな道路だった。街の繁栄を象徴するこの道路の建設にはレイが関わってきたということで彼はとても誇らしげに語ってくれた。

イロイロシティツアーはここで終わり。
この後レイの兄ローアンと合流し、夕食を食べた後、空港まで送ってもらった。
短い間であったが、彼らのおかげでイロイロシティでの滞在はとても充実したものになった。
本当にありがとうございました。

左からローアン(レイ兄)、僕、レイ、サンジ、ルイス、ジョアンナ

次は飛行機を乗り継ぎ、フィリピン北部の都市バギオに向かう。

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