見出し画像

働くってなんだ

2020年、春と夏のちょうど間。

あと2ヶ月で29歳になる彼女は、
最近、仕事や、働くということについて考える時間が増えた。
新社会人が5月病なんかに打ちひしがれるこの時期に、社会人7年目の彼女もまた自分と向き合い、働くことについて見つめ直している。

"自分と向き合う"というのは凄く聞こえのいいワードで、本当はただ働いている自分や仕事の内容に新鮮さや面白味を感じなくなっているだけの言い訳にすぎないことは自分でもわかっている。

やっている感を出している人間を見て嫌気がさしたり、あの人はこのメールで一体何を伝えたいんだろう、と傍観者のように眺めていたりする。責任を持たない批評家ほど気色の悪いことはないのに、彼女は今そうなっている気がしてならない。

つまり、彼女の心は荒んでいる。


組織には必ず無自覚の泥棒がいる

都合のいい時だけ自分のスキルを必要として、その時だけ本人の中では自分に対する興味が盛り上がり、得られるものだけ得て次に面白い人やものが出てくると興味の対象はそちらへ変わる。

経験や情報は、個人が持っている財産であるから、彼女なりに大切にしていた。必要であれば公開し、何かしらの目的や人のために活かされれば培ってきた甲斐があるという思いは人一倍強い自覚があった。

しかしそれは、都合のいい無自覚者が現れた時にはどうしても出し惜しみせざるをえなくなる。それに気付き、そんな人に出会ったことが、荒んだ心を露わにしたのかもしれない。「共有」なんてそれこそ都合のいい言葉で、経験や情報の搾取だと感じてならないことがある。人が好きだからこそ、無意識に行われる人のよくない部分を感じると、途端に冷めてしまったのだろう。

自分のコレクションを部屋に飾っていたら友人がやってきて、コレクションを褒めるものだから嬉しくてつい紹介していたら帰り際に幾つか持って帰られていたみたいだ、あれ、しかも土足だったのかな、なんかカーペット汚れてるな‥のような感覚。それはシンプルに「残念」という一言に尽きる行為だ。


彼女にとっての仕事って、一体なんなんだろう。プラスもマイナスも全部ひっくるめて、働くってなんなんだろう。

「面白い仕事を紹介してるサイトだよ」

彼女が大学の卒業を数ヶ月後に控えていた秋口、就活をしない彼女に姉が教えてくれたのは、日本仕事百貨という求人サイトだった。

生きるように働く

大学生活におけるアルバイトの大半を接客業で過ごした彼女は、ただ漠然と「人と接する仕事をしたい」と考えていた。お気楽学生だった彼女の目には、なんだかワクワクするワードとして強烈に映った。

生きる = 人と接する = ずっと座ってる感じじゃない = なんかいい

脳みそは単純だった。

彼女にスキルはない。あるのは「人が好き」という感覚と、サービスに対する興味だけだった。そこに掲載されていた接客の仕事にピーンときて、卒業後の進路が決まった。その後転職をした時も同じサイトにお世話になり、やはりピーンときた接客の仕事で2社目も決まった。

彼女にとっての仕事は、ピーンから始まっていることは間違いなかった。


ふとした時にこのサイトを見に行くし、あのワードが脳裏に浮かぶ。

働くために生きるのではなく、生きるように働ける仕事。

そんな仕事、そんな働き方をしているのか?と自問自答しているのだろうか。泥棒がいたっていいのか。好きじゃないけど、そんな人もいる、そんな働き方もある。だから世の中は成り立っているのか。

いろいろな働き方をしているいろいろな人を紹介しているサイトは、彼女の荒んだ心を少しだけ豊かにしてくれているのかもしれない。


仕事を楽しむ才能がないだけ

深夜のトーク番組で、どんなに楽しいこと、好きなことでも、仕事になると楽しくなくなってしまうのだろうかという視聴者からの質問が紹介された。「仕事を楽しむ才能がないだけだよ」と回答したのは、男性芸人だった。なんでも大変だけど、その中から喜びを見つけられた人の勝ちだから、極めればどこへでもいけるしなんでもできる、と彼は言っていた。

何気なく見ていた彼女は、衝撃を受けた。それは、「生きるように働く」のワードに出会った時のそれに匹敵するものだった。ピーンときた。

都合のいい言い訳をたくさん考えて、自分の弱い部分を正当化して、なんて面白くないことをしてるんだろう。悲観的になって、どんどん卑屈な人間になっていく自分自身が惨めで、もったいない時間を過ごしていると実感した。

彼女にスキルはないが、才能がないわけではない。かつて仕事を楽しんでいた実績が確かにあって、それが「自信」という経験として彼女の中に確実に存在している。気がする。

生きるように働く、きっとできる。気がする。


人生にも才能にも波がある。風の吹かない土地はない。今はちょっと生暖かい向かい風が吹いているのかもしれない。才能が少し薄れているだけ、生暖かい風の存在がそうさせているのかもしれないし、全然違うかもしれない。結局のところ全部言い訳だけど、そんな自分を、自分が好きになってあげればいい。脳みそは働いてるってことだから。


多分誰でも才能は持っている。気づくか気づかないか、活かすかそうじゃないか、働くことじゃなくて、仕事という概念じゃなくて、そこが難しいのか。

彼女にまたピーンが訪れるよう、社会人7年目病を乗り越えられるよう、エールを送りたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?