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カウンセリング履歴③ 大学時代の学生相談室その3 不意に訪れた終わり

大学入学してから〜休学〜2度目の大学一年生と、2年余りにわたって続けていた、学生相談室でのカウンセリングは、不意に終わりを迎えることになる。

2度目の大学1年生の冬を迎えたあたり、面談の際に、春から、別の大学での学生相談室勤務に移るとカウンセラーから告げられた。

後任のカウンセラーに、今までの経緯等は伝えておく旨も合わせて聞いた。

その時は、特に問題もなく学生生活を送っていたので、特別困ったとか嫌だとは思わなかった。突然ではあったけれど、仕方がないとも思った。

でも、今本音を言うと、そのときを振り返って本当にどうしたかったかと考えると、せめて大学在学中は、カウンセラーが変わらず、カウンセリングを受けていたかったと思った。

その後の大学生活、とくに就職活動などの大きな試練があったことを考えると、そこで強制的に終了になってしまったのは、不完全燃焼であったような気がする。

そして、この不完全燃焼感からか、私は、のちにまたこのカウンセラーとのカウンセリングを求めることになる。

それはまた続きにて詳しく。

また、今振り返ると、論文の題材となったことで知った、神経症やら母親の見捨てられたくない思いから子への干渉を続けた…云々の私見や、私についての過剰適応との私見についても、私からどういうことなのか尋ねたことがなかった、触れることがなかったので、尋ねてみたい、触れてみたいところでもある。

また、前任者が面談の中で用いていた、身体感覚に焦点を当てた心理学の技法というものも、私の中では自分のものにできたと言う感覚はなかった。

そして、この途中で終わったこの技法というのも、自分の中でずいぶん気掛かりと言うか、消化不良と不完全感、中途半端な感覚としてずっと残り続けることとなった。

とにかく、こうして、突然終わりを迎えたこのカウンセラーとの学生相談室でのカウンセリングののち、私は大学二年生へと進級する。


大学二年生となり、またカウンセラーも後任を迎えた中、学生生活は変わらず大きな問題はなかった。

でも、学生相談室に顔を出して、後任のカウンセラーの元、面談を受けた記憶がある。

しかし、それまで前任者のカウンセリングを受けていて、さまざまなことを喋っていたのに、今更新しい人(このカウンセラーに特に問題や違和感があったわけではなかった)に引き続きまた再開するという労力を使う気になれなかった。

こうして、合計2、3回ほど通ったかもしれないが、後任者のカウンセリングに継続して通うことはなかった。

そうして、私は、この後の大学生活を経て、就職活動、就職、新卒での社会人という大きな転機や局面を迎えることになる。

そのあたりから、順調であった学生生活や、毎日、明るく捉えていた、前向きに捉えていた未来は、暗雲がたちこめ、それは今に至るまで続いて行ったように思う。

カウンセリング履歴④、記憶と記録、就職活動へと続く。

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