価値は相対的

良く食事するとんかつチェーン店がキャベツ、味噌汁のおかわりが無料というサービスを強く打ち出している。質問の形式をとり押し付けてくる。「きゃべつ、みそ汁のおかわりはいかがですか?」と。今日も2回目までは断れたのだが、人員を入れ替えながらの3回目で陥落した。徳は感じるものなのか、与えられるものなのか、サービス精神も行き過ぎると窮屈な気がする。日本の外食サービスは素晴らしい、日本を出て外食する機会の多い人達はそう口を揃える。素晴らしい物も蔓延すればその中での優劣順序が割り当てられるし、このように不満を言われたりもする。価値なんて相対的な物だよね。

物が好きな我々は自分の好きな物を他人と語り合ったり伝えたりすることでしか究極の意味で価値を理解できない。俺は他人に共感を求めないという人がいるのであれば、お気に入りの衣服を持って無人島にでも行けば良いと思う。誰もいない場所で、色の美しさや質感の素晴らしさ、レアリティーに感動することができるのか?したとして伝える先が無いことに湧いてくる虚しさがあるのではないだろうか… 自己満足でいいという言葉を口にせずとも、心のどこかにそれらしき感情が芽生えた時点で既に他人を意識しはじめている。絶対的な価値なんてものは無いのだから、自分の心の分布図をその都度確認し、素直な気持ちで対象に向き合いましょう。自慢したい、良く思われたい、他人と差をつけたい、自我を他人と擦り合わせる行為が心を育みます。

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