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憧れの「古民家暮らし」は叶わなかったけれど。

実はこの春、引越しをしました。引越し、といっても前の部屋から自転車で5~6分圏内の移動で、行動範囲が少し広がったくらいの距離。家賃は1万円ほど上がったのだけれど、それでも「ああ、この部屋に来てよかった!」と思える出来事がありました。

それは先日のこと。夫がとつぜん、お店で使うようにと、タケノコをたっぷり買ってきた日のことでした。(夫はタバタバーという、小さな立ち飲み屋を、東京の田端という街でやっています)。いつも茹でられてパウチに入っているタケノコしか調理したことがないわたしは大喜び!さっそく二人で、あく抜きの方法を調べて、ぐつぐつ鍋で煮込むことに。レシピサイトでは2時間ほどかかる、とあるので、夫はその間にお昼寝。意外とあく抜きって時間がかかるんだなぁと学びます。

わたしも仕事をしていたのだけれど、そのうちなんだか眠くなってきて。夫が寝ているソファの横のラグの上で、クッションを枕に本を読みながらウトウトしていました。

すると……。タケノコの甘い春の香りが鼻の中を優しく通り抜け、開け放した窓からは、元気な近所の子どもの声が聞こえる……。鍋からはぐつ、ぐつ、と煮込まれる、ゆで汁の音。

幸せを感じる匂いや音に五感を刺激され、ゆっくり眠りにつくことができました。そして眠りに落ちる、この瞬間。「あれ、わたしいま、憧れの暮らしが叶ってしまったかもしれない」と思ったんです。

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自分の憧れの暮らしを紐解いていくと、どうしてか「田舎で古民家暮らし」という画が浮かびます。それはなんでだっけ?とさらに紐解くと、社会人になってすぐのころに観た映画「おおかみこどもの雨と雪」が思い出されるんです。

この映画は、狼おとこの夫に先立たれた人間の母親が、おおかみこどもの「雨」と「雪」といっしょに、ひっそりと田舎の山奥で暮らす話。あまりにボロボロで借り手がつかないという古民家を、一人でゆっくり改装しながら、子どもと三人つつましく生活する様子が描かれています。

雨が降ったら雨漏りしたり、都会育ちで経験がないから、畑の野菜はなかなか育たなかったり。それはそれは主人公の母は苦労はするんだけれど、地域の人に支えられ、少しずつ野菜が作れるようになっていく。広い家の中を、子どもたちが喜んで駆け回り、暑い夏も、大雪の日も、四季を感じさせてあげられる暮らし……。

そういえばわたしの両親も、庭仕事が好きだったり、毎年味噌づくりや梅干しづくりをしたりと、なんやかんや手仕事が好きだったっけ。

ただ実際にそんな生活がしたくても、夫の仕事は地域に根ざしたもの。わたしの思いつきひとつで、簡単にこの土地を離れるわけにはいきません。憧れの暮らしをする夢は、結婚2年目にして打ち砕かれた……。都会ではこんな生活、できっこない。ずっと、そう思っていました。

でも……。憧れの暮らしって、本当に「古民家で暮らすこと」なんだっけ?と思ったんです。

そこで「田舎で古民家暮らし」を分解してみることに。すると、だんだんと見えてきたことがあります。

それは、夏は暑い、冬は寒い、といった”季節を感じられる暮らし”。手仕事をしたり、植物を育てながら感じる、”ひと手間のある暮らし”。そして、”地域の人と支え合う暮らし”……。

今の部屋は大きな窓が南向きに面していて、周りに大きな建物はなく、空がとても広く感じられるから、春のあたたかな陽射しを毎日浴びることができます。生のタケノコを自分で茹でれば「新鮮なタケノコって、ヤングコーンみたいに甘いんだ!」と知ることができる(さすがに自分で育てることはできないけれど)。そして夫が築いてくれた地域の方々とのつながりは、この街で一人で生きているんじゃない、ということをいつも思い出させてくれます。

なーんだ。全部わたし、持ってるんじゃん。それなのにいつまでたっても「自分の憧れの生活は叶わない!」なんてブツブツ言っていたんだ。本当は手の中におさまるくらいの、小さな幸せが感じられる生活で、十分だったんだ。

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これから先、環境やライフスタイル、心境や仕事が変わって、その度に「憧れの暮らし」は変わるのかもしれない。けれど今回見つけた3つの軸は、きっとそうそう変わることはないでしょう。

絶対に叶わないと思うことも、分解していくと、たった今からでもできることがあるんだ。そう気づかせてくれた、春のお引越し。

緑いっぱいの田んぼや畑も、果ての見えない海もないけれど、ここでの暮らしがまた少し、好きになれたような気がするのです。

ホステルやゲストハウスなどの「地域コミュニティ」を創っている方々に会いに行って、勉強させてもらい、タバタバーに持ち帰ります!