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つくってあそぼ

私は幼い頃から工作が好きだ。

NHK教育の番組『つくってあそぼ』が大好きだった。ワクワクさんに憧れ、心のどこかでワクワクさんになりたいと思っていた。

幼い頃から責任感が強かった私。「親と一緒に作る」と言う発想がなかった。それは「自分で作りたい」という意思の表れでもあったかもしれないけれど、「自己完結させなければ」とどこかで思っていた気がする。それを寂しく思ったり、しんどく思ったりしたことは無い。なぜか生まれた時からそれが当たり前だと思っていた。

あの頃、親と一緒に作れたら、工作の幅が広がって、今よりもっと工作が好きになっていたかもしれないなと、思うことがある。

工作に使う材料も、道具も全部自分で用意する。そうすると自分で準備できないものもある。準備できないものは諦めていた。

4歳の頃ボックスティッシュの空箱を使って工作がしたくて、作りたいと思ったら、今すぐ作れないと嫌だ!と思うタイプだったので、目の前にあったティッシュを全部出して、ゴミ箱に捨てて工作をスタートしようとしたことがある。すぐに母に見つかって怒られた。

自分がもっと「工作がしたいんだ」という思いを親に伝えられていたら、一緒に作る楽しみや、ティッシュが箱が空になるまでを“待つ楽しみ”も体験できたのではないかと思う。

小学生のころも工作が好きで、牛乳パックなんかを使ってよく工作していた。ただその分、よく失敗もしていた。思い描いたものが作れない、不器用な自分に苛立って作ってすぐ壊したこともあった。

中学生、高校生にもなれば、工作に触れる機会なんてほとんどなくなった。

そして時は立ち、何の因果か学童保育の仕事をし始める。学童保育では製作活動がある。そこで久々に工作に触れる。当たり前と言えば当たり前だが、小学生の時よりも少しばかり手先が器用になっていて、当時よりも思い描いたものがそのまま作れるようになった。失敗をたくさんしてきたおかげで、「工作に失敗はつきものだ」と最初から思って取り組めたため、失敗すら楽しんで、工作に打ち込むことができた。


そして、現在。最近では息子のおもちゃを工作することが多々ある。息子がまだ生まれたての頃、仰向けになる時間が多い息子のために、見上げて楽しめるこいのぼりを作った。「作った」と言えるほど、大げさなものでもない。15分ぐらいあればできるような簡単な工作だ。しかし、私ならではの発想で作れたと自負している。


最近では、息子も折り紙をするようになったり、ハサミの練習をしたりする年頃になった。息子と一緒に工作する日も近いだろう。


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