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幸花 あきこさん『花であり、月であり』を読んで

読むだけで、いっぱいの愛で胸が詰まるような文章だった。

筆者の幸花 あきこさんと元繁殖犬・保護犬の幸ちゃんが出会い、共に暮らし、幸ちゃんの病が発覚して、ふたりで最後の日々を過ごして、看取る。その過程が、これ以上なく丁寧に綴られている。
あまりにも丁寧で、私はふたりの出会いから別れまで、側で見ているような気持ちになった。
先代の犬を見送り「もう一度、犬のおかあさんになりたい」と望んだ幸花さんと、繁殖犬として酷使され、保護犬になった幸ちゃん。
幸花さんが、幸ちゃんのおかあさんとして、いかに幸ちゃんを気遣い、慈しみ、心を寄せているかが、痛いほどに伝わってきた。
そして、不思議なことに、幸ちゃんから幸花さんへの愛情も、文章から強く感じられた。
幸花さんの文章を通して、私はふたりがどれだけ大きな愛を与えあい、幸福であったかを感じた。

犬や猫は、人が世話をする。

躾,体のケア、食事等。

けれども私たちは犬や猫に

育まれていると思う。

心を通わせ、心を支えられ、

そして生と死を教えられる。

『花であり、月であり』より

一番共感した文章である。

私たちは動物を愛し、色々なものを与える。
けれど、それだけではない。
動物からも愛され、多くのものを与えられているのだ。
私たちは、それらを余すことなく受け取れているだろうか?

私は18年間、三毛猫の「ミケ」と暮らした。
とても賢く、どちらかと言えばクールな猫だった。
あまり私に甘えてくることもなく、私は彼女にさほど懐かれていないのではと思っていた。
仕方がない。学校や仕事で忙しく、大学進学のために実家を離れたこともあり、ミケと過ごす時間が取れなかったのは私だ。それでも、一緒にいられる時は目一杯「可愛いミケ、大好きよ」と伝えて、自己満足していた。
ミケが懐いてくれたと思えるようになったのは、彼女の晩年、私が就職で実家に帰ってきてからだった。
ミケは車のエンジン音で私の帰宅に気付き、玄関まで迎えに来てくれた。当時、仕事に悩み、辛いこともあった私には何よりも慰めになった。
やがてミケは、家族のいる部屋で静かに眠る時間が増えた。だんだんと食事を摂らなくなり、身体が細くなっていった。それでも、私が「ただいま」と声をかけると、私の手に頬ずりして、喉をゴロゴロと微かに鳴らした。

ああ、私はミケに愛されていたんだな。
今さら気づいた。
もっと早く気づいて、彼女の愛情を受け取れていれば。
もっと何か、返せるものがあったかもしれない。
そう思ってしまった。

そうして、冬のある日。
ミケは、家族全員に見守られながら、コタツの中で息を引き取った。
痙攣を起こし、だんだん動かなくなっていくミケの身体を撫でながら、みんなで「ミケと過ごせて楽しかったよ」「ありがとう」「大好きよ」と声をかけ続けていた。
もう、それしかしてあげられることはなかった。


今、我が家には2代目の猫「のび」がいる。
ミケとは対照的で、人懐こく、私が歩く側をまとわりついて離れない。
私は彼から、どれだけのものを与えられるだろうか。そして、どれだけ返せるだろうか。
後悔のないように、彼と過ごしていきたい。

幸花さんの文章に出会い、私は猫たちと過ごした日々、そしてこれから過ごす時間について考えることができた。
動物と共に生きることがどれだけ豊かであるか、忘れないように生きていきたい。
幸花さん、ありがとうございました。


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