『自分のスタイル』は他人が勝手に決めてくれる
若い時の後悔でもう1つ思い出した。
後悔というよりは、「青かったな」という感覚に近い。
それは『自分のスタイル(作風)』というものに固執しすぎていたということ。
他人とは似ていない独自の作風への憧れも勿論あったし、そういう独自性みたいなものが何より重要だと思い込んでいた。
若くて、知識も技量もないくせに、“俺の作風はこうだ!”というものを追い求め、世界を狭くしていた。
平たく言えばカッコばかり気にしていたわけだ。
結局、自分で狭くしてしまった世界で得られるものはとても少なく、なんだかよくわからない『俺のスタイル』とやらは見つからなかった。
長い時を経て、2年前くらいから作家活動を再開しているわけだけど、
まぁ歳をとって丸くなったのか、そういうスタイル的なことは自分の中でどうでもよくなっていた。
思いつくものは何でも試して、いいなと思ったものは真似をする。
そして飽きたらやめる。「これは難しい」と思ったら諦める。
また何か閃いたらとりあえずはやってみる。この繰り返し。
SNSなどで、作品を投稿している方のページを見ると、
殆どの方は作風が一貫していて、若い時に憧れた『自分のスタイル』を確立されているように映る。
それに比べ、自分の作風は相変わらず右往左往しているように見える。
その右往左往しっぷりを私もSNSに投稿しているのだけど、ある日海外の方からコメントをいただいた。
『全ての作品を見せてもらったが、“あなたの作風”は素晴らしい!』と。
そうかわかった。
『自分のスタイル』というやつは、作品を見る側が決める(感じる)ものなんだな。
右往左往してるなと自分では思っているけど、どこかのポイントでは一貫性が生まれていて、
知らず知らずのうちに『自分のスタイル』が形成されていくもんなんだな。
以前テレビで『秘伝のスープが自慢の濃厚豚骨ラーメン』がウリのラーメン屋のチャーハンがめちゃくちゃ美味くて話題になってたのを思い出した。
サイドメニューであるチャーハンの注文が入るたびに、店主は舌打ちをしながらフライパンを振っていたっけ(笑)
多分あれと同じ感じかな(笑)←(たぶん違う)
今日はここまで。読んでいただきありがとうございます。
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