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女性として生きるということ

女性として生まれ47年半が過ぎた。幼少期は活発で見た目も頻繁に男の子と間違えられる子どもだったけれど、中1の誕生日に初潮を迎えてから、それまでの様相は一変した。生理痛という下腹部と腰の痛みと全体のなんとも表現しづらいだるさを、その後毎月1回、コンスタントに経験することになるからである。

生理痛がひどい。

鎮痛剤は毎箱毎月飲み干す。生理時は何度も下痢になる。頭まで痛い。経血も多く、顔面はいつも真っ青だった。しかし同級生には平然と過ごしている子もいる。わたしは何かがおかしいと初めて産婦人科を受診してしたのは10代後半のことだった。

そこであらゆる検査を受けたのだが、結果「異常なし」。あれだけ痛み苦しい日々に何もないわけがない。ドクターショッピングは続いたが、どこも結果は同じだった。そうして薬でごまかし続けるうちに30代になる。

その間、自分の身体を観察していると、生理痛にも月毎に波があることに気づく。どうも、ストレスが多い月は酷いようだ。メンタルと子宮はリンクしているのか?26歳の時、海辺の田舎町へ移住したこともあり、その地で長年営業しているという漢方薬局を訪ねてみることにした。

そこでは女性の西洋医学の薬剤師さんが東洋医学にも精通しておられ、問診や四診と言われる舌や脈などを診て頂き、わたしは「元気の気のパワーが少なく(気虚)血の巡りが悪い(お血)ので、身体が冷えている」という結果だった。

その体質(症)に合う漢方薬を出して頂き、服用すること数日で、身体が何かが変わったと感じ始めていた。まず、食欲が増すのだ。どこか奥底から力が湧いてくる感じもした。そして次の生理は劇的に軽くなり、初めて鎮痛剤に手を付けずに済んだことに驚いた。そして何より物事をネガティブに考えない自分がいた。【身体=心】であることを言葉より先に感覚で感じ取った瞬間だった。

生理痛からほぼ解放されたわたしは、今までの遅れを取り戻すように、猛烈に仕事に精を出した。何をしてもへこたれないとは、こんなにも気持ちのいいものかと、もっと早く漢方にであっていたら、と思わずにはいられなかった。

そして、ことさら体調に敏感なわたしは、38歳の時、第2のターニングポイント【更年期】に足を踏み入れたことに気づく。それは生理前の気分の落ち込みや眩暈として現れた。

現在47歳半にして、すでに更年期9年のベテラン化しているのだが、その間、排卵期に心臓が止まりそうな痛みに度々襲われたり、下痢、眩暈、頭痛、強い疲労感、気分の落ち込み、、、と、手を変え品を変え、次々に様々な症状がやってきた。

そんな経験を経てふと思ったのだけど、女性というのは人によって非常にアップダウンが大きい、女性ホルモンに左右される人生なのだなと。

時に、やる気がないと思われたり、思い描く通りに物事や仕事や進まないと、心底泣きたくなった。(というか、ひとりで泣いていた)自営業をしているとそれが見事に収入に反映され苦しさは倍増だった。だけど、頑張らないといけない。家族であっても、男性である夫にはこの苦しみは永遠に分からない。大袈裟に聞こえるかも知れないが、広いこの世界で、たったひとりぼっちで生きている気がして、消えて無くなりたくなる日も一度や二度ではなかった。

今では、更年期に対応する漢方薬とサプリメントで軽減されてはいるものの、どんな素晴らしい薬やサプリでも、多忙やストレスには敵わないのだなと実感している。時々ひょっこりと不調が顔を出す。

女性として生まれ、その生涯でたったティースプーン1杯しか分泌されないという女性ホルモンに、ここまで左右されることに改めて驚く。

ずっと若い頃のように走り続けることもできない(そもそも走ってないが)若い頃が100とすれば、今は50〜60%、いやそれ以下かも知れない。今まで楽に出来ていたことが出来ない自分に焦り、もがく。そして、時に言いようのない無力感と脱力感に見舞われる。

この47年間の人生を振り返ってみると、わたしは子どもを持たなかったので、妊娠・出産した方々より女性ホルモンの振れ幅は少ないのかも知れないが、一般的に女性が初潮を迎えてからの人生は、学校、仕事、結婚、妊娠出産、子育て、家庭生活などのライフサイクルはアップダウンの連続。特に仕事をしながら子を育てる家庭生活は多忙を極め、心身への影響は計り知れないし、そののうな方々を心から凄いと思う。

男性もわたしたちが知り得ない変化はいろいろとあるのだろうが、女性の方がその振り幅が圧倒的に大きいということはここに断言しておきたい。

今47歳のわたしは更年期のこの先のことは分からないが、女性は常に一定では生きられないもの、上下左右に時にはナナメに揺れながら、そういうものだと割り切って、しなやかに対応しながら生きていくもの。出来ている人と比べても、それぞれの持ち物は違うと割り切ること。

人生が長いか短いかはわからないけれど、ずっと走り続ける人はきっといない。走ったり止まったり休んだり、また歩いたり。休むべき時は休む。その時は次の活動期に備えて静かに力を溜め込めばいい。わたし個人として、そんな結果に至った。

なぜなら、本来、生きることに意味はない。あるのは経験だけだからだ。





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