②受け止めきれない歩けないという現実
①昨日まで理学療法士、今日から患者 https://note.mu/moritomo219/n/n136bd67f40e0
こちらの続きです
【初めて介助される側になる】
倒れてから看護師さんになんとか抱えられてナースステーションの休憩室に入った私。その時も脚に力が入らないから、砕けるように床に倒れました。
そしてソファに寝かせてもらいました。
病棟から連絡がいったようで、リハビリ科の上司が来て、同じチームの先輩にまだ周れていない患者さんの申し送りを済ませて代行を頼みました。
残りあと2~3人だったから多分10人くらいは自分で回ってたと思うとすごいなってちょっと思いました(笑)
そして神経内科の先生がすぐに来てくれて診察。
寝た状態で膝をまっすぐ伸ばしたまま脚を挙上する
という検査があるんですがまったく上がらなかったのです・・・
やってみたら分かるけど、筋力はちょっと使いますが通常はできます。
筋肉ないんだよね~って人でも自分の脚で歩いたり階段昇れていればほとんどの人ができます。
それができないのです。MMTは3ありません。
原因が分からず、診断もつかないので検査をする事になりました。
ずっとナースステーションにいるのも看護師さんの迷惑になるので車椅子で一度リハ室へ。
リハ室のベッドに車椅子から移ろうとしても自分で全くできないから介助してもらいまいた。
さっきまで働いていて、介助する側だったのに・・・
衝撃しかないです
【歩けないと言えない】
家族に連絡するよう上司に言われて、母に電話をしました。
母も驚いて状況もよく分からないので
「歩けるの?帰ってこれるの?」と聞いてきました。
「歩けない」
この言葉を言おうとすると、言い切る前に涙が出てきたのです。
何回言おうとしても、この5文字が言えなかった。
説明できなかった。
自分ですら何が起きているか分からないんだから他人に説明できるほど自分で受け入れられてないのです。
その様子を見て上司が代わりに母に説明してくれて、病院まで来てくれる事になりました。
この電話で泣いてから、検査に呼ばれるまでをどう過ごしたのか全然思い出せないです。
覚えていない。その方が私にとって楽なのかもしれません。
【入院決定】
検査を済ませたけど、原因が分からず精査の意味もあり入院が決まりました。
原因が分からないと今後進行するのかも分からない。
何より全く歩けない、車椅子にも自分で移れない状態で帰る事は無理だったという部分も大きかったのです。
そして、初めて血液ガスという採血をしたんだけど、量が多いから鼠径からとったんだけどこれがめちゃくちゃ痛くて・・・笑
多分どの先生がやっても痛いのでしょう。
でもこの血ガス採ってくれた研修医の女性の先生とは私が退職するまで、院内で会うと話すような仲になりました。
【入院決定、病室へ】
病室に案内されたが、自分の担当している病棟でした・・・
看護師さんみんな知っているし、ついさっきまでリハビリしていた担当の患者さんも同じ階にいるという何とも不思議な気分。
この病棟の看護師長さんももちろん知っていて、1年目の私でも話しやすい方でした。
おそらくその師長さんの計らいで、個室に入院することができました。
(私には何も言わなかったけど多分そうだと思う)
パーソナルペースが広くプライバシーの配慮に結構敏感な方なのでこれは大変ありがたい配慮でした。
大部屋って患者さんは女性だけど、お見舞いにくる人は当然男性もいるわけで、カーテンで仕切りはあるけど見知らぬ人が出入りするので誰にとってもストレスなのです。
【入院が決まったのに意外とケロッとしていた私】
入院の手続きや看護師の部屋訪問を終わらせてから、この日のカルテを全く書いていなかったので、車椅子でリハ室に行きました。
内容だけ伝えて先輩に代筆をしてもらえました。
サマリー(患者さんが転院する際に必要な情報提供書)を翌日転院する患者さんがいたので書く予定だったがこれも先輩にお願いしました。
急性期病院にいて転院する患者さんがほとんどで、サマリー書くのもしょっちゅうでした。
私はサマリーを書きやすいように、離床し始めた時や歩行訓練を始めた時などの節目や何か変化があった時には、あとで振り返りやすいようなカルテの書き方をしていたので、他の人が見てもいつからどんな訓練をしているのか見たらわかるようになっていました。
ちゃんと書いておいてよかったと実感。
こんな所で役に立つとは思いもしませんでした。
こんな感じで、カルテやサマリーの申し送りは意外とケロッとしてこなしていました。不思議ですよね。
先輩に「安静度(※)は何なの?」
※患者ごとに決まっているベッド上安静、院内フリー等動いて良い範囲に関する医師による指示
と聞かれ「それが”車椅子可”(※)なんですよー」とネタのように言っていました。
※車椅子に移る、立つまでは許可されるが歩行はダメ
他にも「入院の情報収集されたよ、ウケる」みたいな感じでした。
何もウケる事なんてないんですが 倒れた 歩けない という事実を正面から受け止められないでいる状態です。
だから「ウケる」とどこか他人目線でいる事がこの時の私にとっては最大の防衛であり、そうするしかなかったのだと後になってから思いました。
発症から3時間、自分を傷つけないための心理的防衛がしっかり働き始めていました。
傷つかないためには「感じない」でいることしかできなかったのです。
それくらいに両親が病院に来ました。
母に電話した時は、泣けてきて「歩けない」と言えなかったのに、両親が来た時にはだいぶケロッとしていました。
看護師さんは両親が来て安心したから落ち着いたのだろうと思っていました。
私もそうなのかもと思ったけど、それが0ではないにしろ、心理的防衛も結構あったんじゃないかなって思ってます。
つづく
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