鼓腹撃壌 君子勿素餐~令和の歴史変革についての考察~

歴史の変革はまず思想家が出て、
次に革命家が出て、最後に実務派が出てくる。

『戦後思想家としての司馬遼太郎』 成田龍一

 新時代を切り開く、と書けば心躍る者たちが少なからずいる。誰もが何かしら今とは違う未来を切望しているにも関わらず、なかなか行動へと移さない。それはなぜか。行動には労力が伴う。簡単に言ってしまえば、誰もやりたくないのである。心では新時代を待ち望みながら、行動することをしない。そうした人間が大量に溢れた結果、SNSはゴミ溜めのような場所へと変わり果ててしまった。
 昨今の風潮は、思想家の登場によって、次なる革命家を誰とするか?という段階に来ているように思われる。司馬遼太郎の考えに基づいていけば、かつての日本には、まず吉田松陰という尋常ならざる影響力を後世に与えた思想家がいた。僅か29年の生涯で、その後の日本の礎を作った思想家である。
 吉田松陰という思想家の死後、愛弟子であった高杉晋作が革命家となった。討幕を掲げ、あと一歩で倒幕というところで、惜しくも結核によって命を失ってしまう。しかしながら、その後の歴史を見れば明らかなように、大政奉還により幕府は無くなったのである。
 そして、最後に実務家が登場する。『王政復古の大号令』により、大久保利通らが活躍。ついには、伊藤博文が内閣制度を確立し、日本の初代内閣総理大臣となって日本の未来を担っていく。驚くなかれ、伊藤博文が初めて内閣総理大臣になったときの年齢は44歳である。この記録は未だに破られていない。そして、この伊藤博文こそ、吉田松陰の松下村塾にて学び、高杉晋作の起こした功山寺挙兵に参加している。まさに思想家に学び、革命家に寄り添い、自ら実務家として活躍するという、歴史変革の寵児であった。

 明治という時代の、活力ある日本人の姿には見習うべき点が多い。日本の歴史においても、吉田松陰や高杉晋作、坂本龍馬らが活躍する時代が私は一番面白いと思っている。それほどに、歴史の変革には胸を躍らせる力があったのだ。

 さて、では今日の日本に目を向けてみよう。
 偉大なる思想家は生まれたであろうか?
 SNSを見れば、思想家にはなれずとも、自らの思想をチマチマと垂れ流す者たちが大勢いるように思う。
 思想とまではいかなくとも、思想家の醸成に一役買っているのは、Youtubeなどで質疑応答で金を稼ぐ『西村博之』、通称『ひろゆき』であろうか。
 日本の思想家として、まず第一に流行となっているのは、『成田悠輔』であろう。その肩書もさることながら、真を貫いた発言に多くの人々が魅了されている。
 では、『成田悠輔』の思想を受け継いだ革命家は誰であろうか?
 残念ながら、私には思い浮かべることができない。未だ、誰も『成田悠輔』の思想を受け継ぎ、革命家として名乗りをあげた者はいない。我こそは『成田悠輔』の思想を信条とする革命家である。という者がいたら、私のDMにコメントしてほしい。話を聞きたい。
 さて、司馬遼太郎の説く『歴史の変革』という公式に準ずるならば、第一条件である『思想家の誕生』は今日の日本において当てはまると言えるだろう。名も知れぬ有象無象の思想家とも呼べぬ思想家もどきがSNSには大量にいるようだ。
 しかし、第二条件である『革命家の誕生』は当てはまらない。

 おそらく、読者の頭の中には『ガーシー』こと『東谷義和』がいるのではないだろうか。『ガーシー』こそ革命家であると言いたい人はいるだろう。
 では、『ガーシー』のバックにいる思想家とは誰か。『立花孝志』であろうか。『立花孝志』を思想家とするならば、その思想は『NHKをぶっ壊す』である。歴史の変革という意味では、少々規模が小さいように思われる。そもそも、『ガーシー』がその思想を受け継いで、NHKをぶっ壊すかどうかは分からない。それよりも、大枠である『〇〇をぶっ壊す』という思想が、『ガーシー』を革命家と位置づける根拠になるだろうか。
 だが、その『〇〇』に『日本』が入るかと言えば難しいところである。冷静に考えれば、『ガーシー』は芸能界の裏事情を暴露することによって知名度を得た人間である。多くの人々は芸能界だけではなく、ありとあらゆる社会や政治の問題を暴露してほしい、暴いてほしいと願っているように思われる。
 その文脈からすれば、社会や政治の問題を白日の下に晒すことによって、『日本をぶっ壊す』という思想は成し遂げられるかもしれない。だが、今のところ『ガーシー』が所属する政党の党首、『立花孝志』の思想は、あくまでも『NHKをぶっ壊す』である。ゆえに、司馬遼太郎の公式には当てはまらない。
 公式には当てはまらないが、『ガーシー』に投票した20万人の期待は『日本をぶっ壊す』ことにあるだろう。この点は十分に議論に値する。少なくとも、芸能界の裏をネット上で暴露することで、民衆の支持を得て政治家になったというケースは、これまで無かった。そのほか、特異なケースによって政治家になった者たちはいるが、これほど明確に『暴露』を土台として政治家になった存在は日本の歴史上、初めてであろう。
 仮に立花孝志を思想家とし、ガーシーを革命家とするならば、実務家はどこにいるのだろうか。残念ながら、まだ歴史の変革の条件は揃っていないのである。

 天下太平の世にあっては、腹を叩いていれば幸せであるというように、誰も政治のことなど気にせずに生きていられた。日本は、参院選の投票率から推測するに、天下太平の中間に位置しているように思える。なぜなら、2人に1人は選挙に行くことから、国民の半分が政治に関心があり、もう半分は関心がないからである。鼓腹撃壌は、日本という国においては国民の半分が実感しているものなのである。これを多いとみるか、少ないとみるかは個人による。投票率からは、今の日本が天下太平であるとは言い切れない。という現状なのだ。

 そのような現状を鑑みると、国民の約半分において、『歴史の変革』が待たれているのかもしれない。より詳細なデータをもとに、果たしてどれくらいの年齢層が『歴史の変革』を待ち望んでいるのか知りたいのだが、あいにく、そのようなデータはどこにもないのである。
 しかしながら、私が見るに思想家は誕生した。ひょっとすると、私の知識不足により、『ガーシー』は革命家であるのかもしれないが、であれば、次に誕生する実務家を待たねばならない。
 明治維新における、日本人の胆力を令和の時代に発揮するものは現れるのか。はたまた、誰もがスマホでYoutubeやTikTokで時間を浪費し、吉田松陰が言う、『君子勿素餐(君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ)』と真逆の人生を生きる人々が増えるのか。
 私には分からない。が、歴史の変革は何も主語を『日本』としなくても良いことだけは確かなことだ。主語を『自分の歴史(人生)』としてみれば、『自分の歴史(人生)の変革』は、自分という思想家、自分という革命家、そして自分という実務家によって達成される。
 自分の歴史の変革を行うならば、自らを司馬遼太郎の『歴史の変革』の公式に当てはめるだけでいいのだ。これは実に簡単である。明日からでも容易にできる。しかし、やらなければ、生涯、人生の変革は成されないであろう。
 剛毅なる魂を持って、いたずらに時を過ごさぬように気を付けて生きよう。

 
 

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