【5分エッセイ】雪がわらう

 雨はおしゃべりだ。
 家の中にいても、目を閉じていても、ざあざあと雨音が聞こえる。大気が引き起こす自然現象の枠を超えて、それは私の心の内側にまで染み入ってくる。

 けれども、雪はしゃべらない。
 昼間仕事をしていて、ふと窓の外を見ると、知らないうちに街いちめんが銀世界になっている。雪も雨のように、これから降るよと音で知らせてくれればいいのに。

 雨粒はつねに動き回る。地面に落ちてぴちゃんとはねる。まとまって水たまりを作る。一つ一つの雨粒のたてる音が束になって、ざあざあという音になる。
 雪は形を変えない。雪の結晶のささくれが、他の結晶と重なりあい、空気を含んで積みあがる。たまに温かい場所に落ちてじわりと溶けることもあるけれど、うるうるしながら、そこにとどまっているだけだ。

 雨と雪。水の粒がそのまま落ちてくるか、凍りながら落ちてくるかの違いだけ。それなのに、どうしてこんなに性格が違うのか。

 雲の中でゆっくり凍っていく時に、何かあったのだろうか。雨粒の時は、あんなにおしゃべりで動き回っていたのに、どうしてこんなに静かにじっとして、口をつぐんでしまったのだろう。自らの運動を止めてしまいたくなるほど、凍っていくのは辛いことなのか。

 その体をギザギザの結晶にして、そうしてなるべく地面にも他の雪にも触れないようにつま先立ちになって、最小限の面積で世界に触れている。

 雪がひとしきり降ったあと、空は透き通るように晴れる。
 有刺鉄線のトゲのような、あるいはかた結びのようなその結晶を、お日さまの光が優しくなでて、ほどいていく。

 雪がようやくしゃべりだすのは、彼らがいっせいに解けていく時だ。はじめはぽたぽた、次第に寄り集まって道の側溝へ流れこみ、じゃぶじゃぶと音を立てて笑いだす。

 今、雪解け水のせせらぎは、何を話しているのだろう。凍りついていた時に話したくてたまらなかったことだろうか。それとも、柔らかな水に戻れた嬉しさを分かち合っているのだろうか。

 オオイヌノフグリのつぼみが、側溝のわきで、小さな温かい春を宿している。