内面を語るつまらない人とは
つまらない人間とは『自分の内面を語る人』である。
”少しでもおもしろく感じる人は、その人の外側にあることを語っている”
”文章には「事実」が必要である しかも、間違いない裏付けとともに
その後、初めて自分の気持を伝えていい”
会話していると、つまらないなと感じることがあります。大きく分けて2つ。自慢と愚痴です。どちらも自分の内面の部分である。この手の人との会話を避けようと努力している反面、自分は果たして、おもしろいと感じてもらえる会話をしているのだろうか。
なかなか自分で判断することは難しい。全ての文章・会話に自分の外側の部分を入れることは出来ないから。ここは、いつも会話をしてくれている人に聞くのが1番だと思い、奥さんに聞いてみた。
俺の話す内容はおもしろい?
おもしろい時もあるし、つまらない時もある。
(正直だな、、、)そうか、ありがとう
でも、どんな話も興味はあるよ。おもしろいとか、つまらないとか関係なく。
あ、ありがとう
この会話から、軸が1つでないことが明らかになった。つまり、内面を語る人がつまらないのではなく、誰が語るかによっても判断がなされるということである。有名人が書いた文・話す話がどのような内容であっても、様々な人に興味を持ってもらえるように。
自分の内面を語る人はつまらない。しかし、語る人によっては興味のある話になる。ようするに、あまり気にしないほうがいいとも思える。
おもしろい文章を書くことにとらわれると、1文字も書けない。読みたい文章を書きたいけど、それを意識すると1文字も書けない。それは当然だと思う。これまでの人生でやってこなかったのだから。それならいっそ、楽しんだ方がいい。楽しんで成長しながら、おもしろいと思ってもらえる文章をかけるようになれればいい。
まとめ
私の場合、今後ブログは続けていく。楽しいからという理由で。それは、単にブロブを書くことが楽しいのはなく、日常の全てに興味を持ち始めて日々楽しく過ごせるようになったからである。
日常の些細なことも、ただ傍観しているのではなく、自分が参加したくなる。誰かの発言に興味がわき、どんどん質問してしまう。色んな部分にアンテナがたち、キョロキョロと日々過ごすようになった。
ただし、内面ばかりを書かないように注意が必要である。それは、自己満足で終わってしまう。読んでもらえる人にとって、意味のある、読んでよかったと思えるものにしたいから。そのためにも、外側、事実はきちんと調べて、発信していきたいと思う。何事にもバランスが大事。
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