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BOOK REVIEW vol.079 食堂かたつむり

今回のブックレビューは、小川糸さんの『食堂かたつむり』(ポプラ社)です!

2008年に出版された、小川糸さんのデビュー作。主人公は、ある日突然、同棲していたインド人の恋人に家財道具等のすべてを持ち去られ、その衝撃から心因性失声症となってしまった倫子。物語は、ショックのあまり、10年ぶりに山あいの故郷に戻った倫子が、“決まったメニュー”のない、一日一組限定の小さな食堂を始める、というストーリー。

初めて読んだ小川糸さんの小説。物語の始まり方が興味深かかった。もし“同棲していた恋人にすべてを持ち逃げされたら”・・・私だったらショックで何もできなくなるだろう。もぬけの殻になったその部屋で、去ってしまった恋人との思い出と虚無感に浸りながら、ただ呆然と毎日を過ごす自分の姿が容易に想像できてしまう。倫子の行動に興味がわいたのは、そんな私とは真逆だったからかもしれない。家を出る倫子の後を追うようにして、私はぐんぐん物語を読み進めていった。

小川糸さんの文章表現の中でも特に心を動かされたのは、料理を表す言葉の繊細さと美しさ。小川さんご自身も料理をされる方なのだろうか?…だとすると、ものすごく料理がお上手なのではないだろうか。それとも相当、念入りに取材をされた賜物なのか。調理シーンはいつもそんなことを頭の片隅で小さく考えながら読んだ。ジャンルを問わず登場する料理の数々、その調理方法の知識と表現力によって、今まで見たことも食べたこともない料理でさえも、私の頭の中には映像となって浮かんできた(想像が合っているかどうかはさておき…笑)。

調理シーンの中で一番印象に残っているのは、夜、デザートに添えるアイスクリームを、外の冷え切った空気を利用してつくるシーン。大小さまざまな星が瞬くなか、泡立て器がステンレスボウルに当たる音だけが山間に響き渡る。恋人も声も失ったままの倫子が、“誰かのため”に料理ができることに最高の喜びを感じた瞬間、思わず「よかったねぇ。。」と拍手を送りたくなった。

幸せだった。
幸せすぎて胸が詰まり、呼吸困難になって死んでしまいそうなほど、幸せだった。こんなふうに大空の下で誰かのためにアイスクリームを作る姿を、自分自身まったく予想もしていなかった。しかも、こんなに早く長年の夢が叶うなんて・・・・・・。

『食堂かたつむり』より引用

『食堂かたつむり』には、「(人間・動物等すべての)命」や、「食べること=生きること」もテーマとして描かれている。屠殺シーンや少々露骨な性的表現が出てくるので驚く方もいるかもしれない。賛否両論あると思う。ほっこりとした場面が多いからこそ、それらとの対比が強烈で、より一層、胸に深く刻まれたような気がした。

そして、物語には繊細に表現されている箇所と、詳しく触れられていない部分がある。倫子の目線で描かれたストーリーなのに、倫子自身の“心の内側”はそれほど多く語られていなかった。失恋のショックから声を失い、日ごろは筆談でやりとりをする倫子の“本音”がとても気になる。「この時、本当はどんな気持ちだったんだろうか?」、「あの人のこと、本音ではどう思ってるの?」・・・想像しながら読む楽しさは小説の醍醐味ではあるけれど、やっぱり本人の言葉や行動から知りたいと思ってしまうのが、自分勝手な私の本音だったりする(野暮かな…苦笑)。

どこか不思議な魅力を感じる小川糸さんの文章。『食堂かたつむり』は、現実とファンタジーの狭間にあるような物語だった。他の作品もぜひ読んでみたい。

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