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「一人でいて寂しくない人間」になる

1年ほど前のこと、長野県で「ひとりぼっち」であることを笑われたと勘違いした男が逆上して猟銃やナイフで人を殺しまくり、その後立てこもるという事件があった。犯人がイカレてるのは議論の余地もないだろうが、この犯人と大多数の日本人に通底しているのは「ひとりぼっちは嫌だ」という観念だろう。とかく日本人は群れることで自分の居場所を確認して安心感を得、群れることで等身大の自分から目を背け、群れることで自分が何倍にも強くなったように錯覚して他者を責め立てる。

若い人の間でもひとりでいるのは「ぼっち」などと揶揄され、一人になって深くモノを考える機会がないから自分の頭で考えることができないまま大人になって社会に出る。トモダチがいないのは恥ずかしい、トモダチがいないと思われたくない、こんなイカレた犯罪者ですらそう思ってるのは日本人の病であり根深い闇でもあり、これは大多数の人が「みんなが外したらマスクを外す」と言ってたのとも恐らく通底している。

自由民権運動に参加し後に福岡で政治団体「玄洋社」を設立し、欧米列強に抗する大アジア主義を掲げた頭山満は「一人でいて寂しくない人間になれ!」と後輩たちに言い残したことで知られている。頭山が言いたかったのは、もちろん孤独を勧めていたわけではなく、「仲間がやっているから自分もやる」ではなく、仲間を大事にしつつも「自分の頭で考えよ」ということだろう。「頭数という者は50年、100年たつと虚空だ。俺は1人だが50年、100年で消えるような者じゃないぞ。頭数の奴は霧か霞と消え失せても俺は決して消えぬ。」と、自分で考えず単に群れることの虚無を頭山は喝破していた。

日本人は群れるがゆえ団結力もあり、それが奏功する場面ももちろんあるのだが、そうであるがゆえ群れの空気に逆らえず、その群れがいったん暴走してしまうと制御不能に陥ってしまうという陥穽もある。日本人が一人でいて寂しくない人間、「一身独立」した人間になれた時、ようやく日本は「一国独立」した国になるのかもしれない。

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