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地下水脈で会いましょう 本の感想とか(武田友紀「繊細さん」の幸せリスト)

こんにちは、暑いですね。肌はベタベタ、蚊はぷんぷん、日光の当たらない水中でできる仕事とかないですか。

先日、駅の本屋にふらっと立ち寄ったら、気になる本があった。

武田友紀 「繊細さん」の幸せリスト

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あーこれ知ってる、あれでしょ、HSPのひと向けの。


今月の初めにメンタリストDaigoさんのHSPテスト動画を見るまでは、私はHSPではない、と思っていた。

ひとの気持ちとかわからんし。そういうの感じ取れて「気を遣える」ひとって羨ましい、とすら思っていた。

小学校から看護学校まで、ずっと「空気読めない変な奴」というキャラ(だんだんその居心地の良さがわかってきたけれど)だったこともあり、

HSPという敏感な人たちがいる、感性はとても似ているけど、私とは違う人たち。

と思っていた。

前述の動画を見て、私の中に「もしかしたら、HSPなのかもしれない」と思う節があった。(たしか五感が鋭い、とかそんなん。)

そんな種まきがあり、なんとなく気になったこの本を手に取ってみた。


ちょっと重なるところもあるやもしれん、とやってみた初めのチェックリストで、あれ?となる。

これ、ちょっとどころじゃない、ほぼ私やん。

本屋で立ち読みしながら泣いた

今の社会は、スピードが速すぎます。繊細さんはひとつひとつ丁寧にじっくり取り組む傾向にあるため、忙しすぎる環境や、「雑でもいいから早くやって」という価値観の職場では大変な思いをしやすいです。本来ゆっくりしている人がスピード重視の職場に勤めると、不安になるのも当然のように思います。P77

この、著者の「ゆっくりで、自分のペースを大切にしていいんだよ」というメッセージに触れた瞬間、思わず涙が出てきた。

本屋で立ち読みして泣いたのなんて初めてである。

そうなんだよ、やっぱり、いつも周りがはやくて、辛かったよ。

頑張って頑張って、ついていくのに精いっぱいで、焦ってたよ。


仕事をやめて、好きなところをふらふらしてる今だって、いつも時間に追われていて、誰かを待たせてしまって、緊張している。

それを許容してくれたり、むこうも時間にルーズなくらい(もし合流できたらしよう)がちょうどいい。


自分のペース、以外にも、インプットが膨大になりがちなのでアウトプットが不可欠、とか、「動く・休む」以外に「整える」が必要とか。

いまの私が必要としていたけど、「いや~そこにそんな時間かけてちゃ駄目だよな、もっとサクサク発信して、サクサク経験しないと」なんて言葉で最低限にしようとしていた要素を、「それってあなたにとって、空気と同じくらい大事なんだよ」って肯定された感じ。

ずーっと止めていた息を、ふ~。って吐き出せた気がした。


読み終わるのに時間はさほどかからなかった。私が感じていること、していること、そのまんま。

ただ、それに「YES!」っていっていいんだよ、OK出していいんだよ、って繰り返し頷いてくれているような、そんな優しくて丁寧な本。

きっと、読む人の感受性の高さやキャラクターをイメージしながら丁寧につくってくれたんだろうな、ありがとう。

フォントや絵のちょうどいいすっきりさ、余白、あたたかみも、好ましかった。


地下水脈とSくんのこと

一番のお気に入りは、著者の武田さんが精神科医 泉谷閑示さんの『「普通がいい」という病』を引用していたところ。

人生を変えた本、というのはないけれど、本の一節がその後も長い間、心に残ってときおり浮かんでくる、ということはある。(これについても深掘りしたい)

泉谷さんの本は、まさにそんな感じ。

看護学生だった2015年の春に読んで、おお!っとなったところを手帳にまとめたら、とても入りきらず、B5のノート4枚に裏表びっしりノートするほど。モヤモヤ思っていたことをピシっと言語化してくれたような感動があった。

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文字びっしり。

なかでも、地下水脈の例えは、その後いろいろな人に会う中でも、なんども思い起こされ、私なりの言葉で相手に伝えてみたりした部分である。

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当時のメモより

要約すると、浅い部分では違うように見えるすべてのことは(それぞれの井戸水、分野の違うこと)、掘り切ってしまえば地下水脈にあたって、そこには普遍的な真実が流れている。


私がHSPという言葉を知るきっかけとなったSくんは、ファッションと音楽のセンスにあふれ、環境や政治に対して知識と考察がすさまじく、いつもどこか、体調不良を抱えていた。

パーマカルチャーを学ぶ講座で5回ほど会い、たくさんギターと素敵な歌を聞かせてくれた。あと興味深い話も。

私はSくんがすごく好きだったけれど、不思議とラインやSNSで定期的に連絡をしたいとか、そういうことは思わなかった。

ただ、彼の表現は好きで、スマホのボイスレコーダーに録ったS君の歌を、電波もWi-Fiもない山の古民家で、よく聴きつつごろごろしたものである。

私はたぶん、彼の感性を深く信頼していて、日常の近況とかにはべつだん興味はなく、でも彼が自分の世界を深く深く掘っていったときに湧き出す地下水脈と、私が表現を探求していった先にあるものは、きっとどこかでつながっている、と思うのである。

だから、私のしごとや表現を、S君が見ることがなくても、今後話すことがなくても、それはそれでいいのである。タイトルにした、地下水脈で会いましょう、というのは、そういうこと。


読み終ってしまったけれど、パワーを貰ったし、こういう本が増えてほしいからもちろん買いました。

(余談だが、私は立ち読みが好きだ。周りの人はみんな自分の世界に入っているから、邪魔されることはないし、一番集中できる。家だとなにかと邪魔が入る。あの限られた時間、立って、邪魔されずに、というのがよい。中学生の時、毎晩学校終わりに漫画を立ち読みして、全巻読み終わったあとに大人買いしたのはいい思い出。そして家で読み返すことはほぼない。とくに漫画。)


家に帰ってから、本をじっくりノートにまとめて、私の本音では不快なもの、好きなことの言語化、身の回りや心の中の整えたい部分にじっくり向き合ってみた。

部屋は変わらず暑いのに、こうやって静かなところで自分と丁寧に向き合うと、涼しい風が吹くみたい。この家にも、私のこころにも。

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