見出し画像

「安物買いの銭失い」なんて言わせません

「いい服買おうと思ってたのに、結局いつもの店だ・・・・・・」

ショッピングモールを歩き回り、落ち着いたところで気付く。
もう社会人。少しは高い服を着よう思うのだが、どうやら貧乏性の自分には難儀らしい。

「そんなだから学生に間違われるんだよなぁ」と思いながら、とりあえず店を後にする。

貧乏性と言っても、ギリギリまで切り詰めて生活をしているわけではないのだ。浪費もするし、手間が面倒でお金を使ってしまうことも無くはない。

だがいざ買い物となると、無意識にストッパーがかかってしまう。
どうしたら、上のランクの物に手を出せるようになるのだろうか。

しかしふと気づく。

アイデア

あれ?家電みたいな大きなものを買う時は、普通に大金払ってるじゃないか

同じお金を使うでも、対象物によって感覚が全く異なるのでは?
またそれ以外にも、何か自分の中で感じていることがあるんじゃないか。

そこで掘り下げて考えると、購買時に判断要素がいくつかあることに気づいた。

物の相場観

往々にして「何に対してお金を使おうとしているのか」は考える気がする。
例えば冷蔵庫を買おうと思ったら、5万円くらいは妥当だろう。しかし服を買うのであれば、1000円くらいから選択肢に入ってくる。
そもそも対象物によって、スタートの金額が全く違うということだ。

そう思うと金額そのものでなく、相場観や総合的な納得度によって購入を決めているのではないかと思った。

金額による購入時の線引き

買い物の際自分の中に、どうしても線引きが生まれてしまう。
それは「気持ちよく買えるライン」「思い切りが必要なライン」だ。

例えば服を買うシーンを考えてみる。
シャツを一枚買うとしたら、デザイン・着心地など様々な要素を検討する。そういった要素と金額を天秤にかけて購入を決めるのだ。

デザイン・着心地などが自分の中で納得。金額感も納得。
そうなれば自分の中でこれは、紛れもなく「気持ちよく買えるライン」の商品である。満点の買い物だ。

しかし、要素が完璧に揃うことは中々ない。
スペックはいいけど値段が高いとか、安いけどデザインがあと一歩とか。
そういった中で何かを譲歩して決めている。
そんなとき、それは自分の中で「思い切りが必要なライン」の買い物になる。そうなってくると、購入をためらってくる。

そもそも自分は物に対するこだわりが激しく、完全に満足する商品に出会うことが少ない。そのため高い店に入っても、何かしらの要素が気に食わず購入に至らない。
高い金額を出してまで欲しい商品でないということだ。

そういった具合で「納得のいく値段でそこそこ満足した物を買う」
という行動を取ることが多いのだと思った。

まとめ

これらから思ったのは「購買時の評価基準は人それぞれ」だということだ。
金額重視・スペック重視。もしくはバランス。
そういったせめぎ合いで購買行動を行っているのではないか。

スペックへを求めるあまり金額を超過すると、それが個人における満足に繋がるのかどうかは定かではない。

一方で金額を抑えるあまり、満足度の低い商品を買い続けるのもいかがなものか。時には新しい景色を求めて、自分の基準を更新するのも良いかもしれない。

自分には物差しがあり、踏み切れない理由がちゃんとある。

それを知れば貧乏性な自分を少し好きになれるのではないか。
そして一歩踏み出したいと思ったときにも、自身を知っていることが大きな足掛かりになると思うから。

高いものが買えなくても、貧乏性でも全然いい。それは自分に正直に生きている証拠だ。

次に学生さん?と言われたものなら「財布に優しい社会人です!」って返してみようと思う。


この記事が参加している募集

最近の学び

買ってよかったもの

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?