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魔法の胃薬はどこにある?

あぁ。またこの感覚だ。

胃液がぐっと上がってくるような、途方もなくムカムカしたこの感じ。
突き上げてくるような違和感に支配され、すぐにでも吐き出してしまいたい。
この感覚を何だか、前にも味わったような気がする。
社会に出て3年が経とうとしている中、自分がどう生きていきたいのか迷う。人生のあり方みたいな、そんなバイブルでもあればいいんだけど、そんな都合の良いものはないらしい。

振り返ってみると、僕はいつもそうだった。
中々現状に満足することができなくて、何かを目指してもがいてきた。
けれども思う、自分は何か不満を感じるとき、少なからず人や状況のせいにしていなかったかって。
胸のつかえを取る、魔法のような胃薬を探してさまよっていた。
僕はこの胸の違和感に対して、自分ができる努力を100%行うことができてきただろうか。


大学生の頃をふと思い出す。
熱気のこもったライブハウスで、僕は初めての光景に心を打ちぬかれた。

こんな人たちみたいになりたい!!
そう思って、僕は周りを変えようとしていた。

大学では新しいことに挑戦してみよう。
僕は大学でサークルに入り、アカペラという音楽活動を初めてスタートさせた。アカペラとは楽器を一切使わず、声だけでバンド演奏を行う音楽形態のことだ。幼少期からアカペラが好きで、テレビ放送されるものなら録画し、ビデオが擦り切れるほど見ていた。大学に入って同じ思いを持つ仲間ができ、これから思い切り好きなことができると心が躍った。

そして初めて見に行った、生のライブ。
あの時の衝撃を、僕はこれからも忘れることはないのではないか。

「もーりー! 今度全国大会の予選見に行こうよ!」

サークルの同期に誘われ、ライブハウスに足を踏み入れる。
そこでは輝かしいばかりのバンドたちが、様々なジャンルの演奏を披露していた。

(なんだこれ……。かっこよすぎるだろ……)

華々しく躍動するボーカル、それを支える華麗なコーラスワーク、思わず体が動いてしまうようなリズム隊。
初めて飛び込んだ音楽の世界に、僕は圧倒された。

赤い衣装をまとった男性グループが、男らしいアレンジで楽曲を歌い終えた時、僕の憧れは目標に変わった。

「この人たちみたいに、自分も華々しい舞台で活躍したい!」

そこから熱意に火が付いた僕は、楽譜もろくに読めないくせに必死になってバンド活動を引っ張った。音もろくに取れていない奴が練習を仕切っていくのは、傍から見たらさぞかし不愉快なことだろう。
案の定そのころに組んだバンドは、中々上手くいくことが無かった。

それからも何とか憧れの舞台に立とうと、強豪サークルのライブに行ったり、自分自身もそのサークルに入ろうと活動してみたりもした。
けれども結局、僕は強豪サークルに入らず、自分のサークルの代表になってサークルを変えるという道を選んだ。

なぜ、その道を選んだのか。
今だから思うけれど、本当に自分が目指す場所に行きたいのなら、まず自分が一番上手くなるべきだろう。楽譜が読めないとか話にならないし、もっと自分の武器を必死に磨くべきだ。

けれども僕はずっと、自分を取り巻く環境のせいにして、自分を磨くことを怠った。それにいざ、夢に近づく環境に飛び込む勇気が無かった。
周りを変えることで自分も変わり、夢に近づくことができるのだと勘違いしていた。そんなことで、自分の胸のつかえがとれることはないのに。

代表をやらせてもらった期間は、周りにも迷惑をかけたし、仲間のおかげで任期を終えることができたと思う。大事なことを学ぶことができたかけがえのない期間だった。けれども自分の夢を追うなら、もっと自分にとってやるべきことがあったと今だから思う。


「現状を変えるなら、まず自分から」

僕は今まで何かうまくいかないことを、どこか周りのせいにしてきた。
そして、自分が周りの人を変えないと、希望が叶わないと思っていた。
大学のアカペラだって、高校までやっていたバスケもそうだ。
けれども自分に実力がないから、レベルの高い環境に身を置いても通用することはなかった。自分の望みをかなえるにはどうしたらいいのか、自分が一番わかっていなかったんだと思う。

一番変わるべきだったのは、そんな歪んだ考えを持った自分だったのかもしれない。

社会人になってからも、仕事が自分に向いていないとか、将来なりたい自分になれる気がしないといった感覚がずっとあって、胸がつかえるような思いが拭えない。
少し仕事が手についてきてやりがいを感じることがあっても、やはりどこか胸がつかえている気がする。
先輩は未来について「こうなりたいっていう目標はない」って言う。
面白いとかじゃなくて「仕事だからやる」って言う。

けれども上司や同僚が人生の目標を見出していなかったからと言って、自分がその会社で目標を見いだせない理由になるのだろうか。
自分で本気で今の状況を切り拓く勇気と覚悟があるのか。それに見合った努力をしているのか、ふと考えてしまうんだ。


日本には「溜飲(りゅういん)が下がる」という言葉がある。
溜飲とは胃液というような意味で、周りからうけていた嫌な思いや自分のモヤモヤした気持ち。そういったものが、胃液が下がっていくようにスーッと消えていくことを言うらしい。
そんなことが実際にあればいいけど、それは割と難しいことだと思う。

なぜなら、他人の思考や取り巻く環境を変えることはできないからだ。
自分がいくら働きかけたところで、人には人の価値観があって考えがある。人からのアプローチで溜飲が下がることを期待したって、そんな機会は訪れないんだと思う。

自分は今までずっと、溜飲が下がるのを望んでいた。
なんで自分がモヤモヤしているのかって本気で考えて、足りないことを努力して、理想の状態に近づくために努力する。
そういったことをしないまま、このモヤモヤがスーッと消えてなくなればいいななんて思っていた。もしくは自分が変わらなくても、周りを変えれば自分の見える景色は変わるだろうって。そんな市販の胃薬みたいな努力で、状況がどうにかなるわけがないのに。

自分がもっと本気で頑張っていれば。
そんな後悔をするのは、もうごめんだ。

今までモヤモヤをどうにかしたくて、飛び込んで失敗したこともあった。
逆に勇気が無くて、新しい環境に飛び込めないこともあった。
大学のサークルでも、上を目指したいと思いながら強豪サークルに飛び込むことができなかった。
今思うとそれは、自分がモヤモヤする原因を真剣に考えることができていなかったからじゃないかとも思う。

もし大きな舞台に立ちたいという思いがあって、そこに挑戦するための環境が今の自分に無かったとしたら。
自分の実力が無くてそこに行けないのか、実力があるのに環境が悪いのかまず考えないといけなかった。
実力がないのなら、何の技術を高めなければいけないのか考えるし、その上で新しい環境を探す。
もし躊躇するならば、新しい環境に飛び込めないのはなぜなのか。
今置かれている環境や、周りの人に愛着を持っているからなのか。
人への愛着であれば、自分にとって人というのは大きく重要な要因なのかもしれない。
そうやって自分にとって大事なことを見極めて、その上で環境を変える努力をする必要があるはずだ。

それができれば、溜飲が下がることはなくても、自ら「溜飲を下げる」ことができるのではないだろうか。

きっと100%の解決なんてない。
けれども、自分にとって納得できる地点というのは必ずあるはずだ。

僕自身、アカペラに関しては結果を出せていない。
周りを変えようとして、少し遅かったけど自分も変わろうとして。
そうこうしているうちに現役が終わった。
けれども自然と負けた感覚はない。

自分にとって、アカペラそのものが好きだという思いがとても強かったからだ。たとえ結果が出なくても、演奏動画を見ない日はなかったし、辞めたいと思ったこともない。それほどまでに狂おしく、アカペラが好きだった。
それにメンバーと感情を共有するのが幸せで、大変なことはあってもバンドが好きだった。
「好きな人達と好きなことをする」という自分にとって大事なところに行きつくことができたからだと思う。
そこで初めて、あれほど憧れてきた目標が自分の固執だと気付くことができた。

自分にとって大事なことはなんだんだろうって。
自分の中で大事なモノが10個あったら、その中から本当に大事なモノを5個取る方法はないのか。他の優先順位の低いものは、おいてくることも必要なのかもしれない。


今日も胸の奥はどこかつかえている。
自分が今できる努力は、まだ残されているだろうか。

人生という大海原を、荒波にもまれて進んでいく。
その中で胸が揺さぶられて、思わずむせ込みたくなる。

そんな中で思う。
きっと待っていても溜飲は下がらない。

けれども自ら下げることはできると思うから。
自分を見つめて行動すれば、スーッと軽くなるときが来ると思うから。
だから僕は思考と行動をやめない。

「溜飲を自ら下げる」

そんな行動ができる大人に、なっていきたいと思うから。

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