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万年筆と私

万年筆は私に場所と時間を与えてくれた。あのヨルシカの藍二乗のミュージックビデオを見てから、ずっと心の隅で引っかかっていて、大学二年になるという今、購入を決意した。普段お金を使うことに対しては消極的な私だが、Amazonで購入した。

買ったインクの名前は「月夜」。色彩雫というインクシリーズの藍色。闇でもなく、鮮明な青色でもないその色が好き。お日様の光を浴びて、その濃くてどこか切ないインクが輝いて見えて、私はしばらく窓辺に置いて眺めていた。そこは私の空間でもあって、月夜の空間でもあった。偶然なのかわからないが、カーテンの色も藍色。ふとんカバーも藍色。私の色。


カメラを取り出した。Canonの一眼レフ。お母さんのカメラが羨ましくて頑張ってお小遣いを貯めて買ったカメラ。50mmの単焦点レンズ。「上手くなるには、とりあえずこのレンズだけ使って撮りな。」と言われて以来、ずっと使っている。

月夜の写真を撮った。太陽の光を浴びた藍色は儚く美しい。しばらく夢中になった。お腹が空いていることもすっかり忘れて。

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光に照らされて輝くインク面。深くなるにつれて濃くなっていく藍色。

高校二年生の夏、沖縄でダイビングをした時を思い出した。雲ひとつない快晴で、海の闇なんて知らなかった当時の私は大きな不安と同時に感動を覚えた。海の中から見る外の世界はあまりにも暗く、儚く、美しいものだった。月夜はそれに似た感動を私にもたらした。


Indigo la Endというバンドをご存知だろうか。私の世界観のバンド。その楽曲のひとつに、「藍色好きさ」というものがある。これはまあ言ってしまえばラブソングなのであるが、私にはそれ以上の価値があると思う。この曲も、このバンドも、藍色にも。この世界にも。

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芸術には、温故知新という言葉が根強くあると思っている。写真。音楽。絵画。ビンテージの物には貴重で多くの価値があると思われている。数千万円のギターなんてのが最たる例かもしれない。

私は思う。この世界は温故になりすぎているのではないか。古きを重んじることはとても大切であるし、ブラックミュージックをルーツにして、新たな音楽を提供するアーティストも多い。それはとても偉大なことであり、素晴らしいとも思う。しかし、それは知新の部分が長けているからであって、古風な物だけではいけないのではないか。「昔はよかったなあ」という大人の決まり文句が私はとても嫌いだ。自分たちの若かりし頃を回想しては、そこが天国であるかのような言葉。その文句を垂れている今が私たちの「今」であるというのに。

東京はその二色が混ざる街だった。親元を離れて石川県で一人暮らしをすると、あの街がいかに不協和音で、汚い色だったかが分かる。


でもいつか、その不協和音が意外性の芸術という進行のなかで絶妙なハーモニーを生み出す世界になることを願って止まない。そうすれば、私たちがおじいさんおばあさんになった時にはこう言えると思う。

「あの頃もよかったな」と。

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