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【小短編】記憶の鎮痛剤あります

 頭痛がする帰り道、各駅停車がようやく着いた駅で、開いたドアの前を見て、頭痛がますます酷くなった。
 ドアの前には、朝は無かった観光ポスターがあった。

 その街は、昔、住んでいた街だった。
 それを目にした瞬間に、否が応にも、当時のことが思い出されて、頭痛に加えて、記憶までもが痛み始める。

 その昔、日本に渡来した欧米人は、肩凝りという日本語を知ったことで、生まれて初めて肩凝りを認識したという。
 言葉が認識を作る。
 肉体の痛覚さえも。

 記憶の鎮痛剤が発売されてから、記憶が痛む部位だということが、人々に浸透してしまった。
 頭痛だけなら、真っ直ぐ家に帰ることも出来たが、記憶痛まで重なったら、薬局に寄ろうという気持ちになった。

 スマホの広告は「私には不適切である」が選べるのに、なぜ駅のポスターは選べないのか。
 忌々しく思いながら、混んでいるエスカレーターで、痛みを抱えてのろのろと、最寄りの記憶薬局を目指す。

 この駅の記憶薬局は、居抜きのバーカウンターに、後付けの仕切りを立てた個別面談ブースが5席あるだけの、小さな店だ。
 記憶操作薬が一般的になって、認識される痛みが細分化されて増大した代わりに、酒や煙草にギャンブルなどの依存症の人間が減少したという。
 人気を博し、街中にコンビニのように記憶薬局が出来るまで、そう時間はかからなかった。

 空いている席に座ると、顔見知りの処方係が笑顔で温かいお絞りを手渡してくれた。
 症状を伝えると、処方係は同情するように頷き、白紙の処方箋とペンを差し出す。

「昔ながらの大型広告は、どうしても、大勢に向けた大味になって、土足で他人の聖域を踏み荒らすような不純物が混ざりやすいですから。まあ、観光ポスター位は許してあげても良いような気もしますが。」
「いやいや、何が引き金になるかなんて、誰にも分らないでしょう。」
「確かに、私も、趣味の合わないBGMなんかは、ミュート機能が早く欲しいと思うことはありますよ。でも、あなたも、そんな剥き出しのガラスハートでうろうろしてるのも、問題ですよ。子供のような純真は、ちゃんと梱包材で包んで、社会の衝撃に備えないと。」
 ボクシングの防御の姿勢で、処方係が強調する。
「分かってます。分かってますけど。それが難しいんですよ。」
「あんまり薬に頼らない方が良いのは、他の薬剤と同じですからね。」
「分かってます。今日は、頭が痛かったんで、ガードが弱かったんです。」
 ボクシングのガードが崩れるジェスチャーをして、顔見知りの処方係の小言に、両手を上げて降参する。
 処方係は一つ溜息を吐くと、業務説明の声色になった。
「それでは、こちらの処方箋に、痛みを和らげたい記憶の内容を、出来るだけ、詳細に書き込んでください。記憶薬の3Dプリンターに入れる時に、情報が多い方が良いですから。」
 差し出されたA4用紙の空白が眩しい。
 毎度のことながら、これに記憶の詳細を書き連ねることは、またとない苦痛だ。
 この苦行で心が整理されているだけなのではないのか、と思うことさえある。
 眉を顰めていると、処方係が勇気づけるように声を掛けてくれた。
「嫌な気分の時に、詳細を再現するのは、お辛いでしょう。ただ、製薬AIが構成記憶の一つ一つを打ち消していくので、項目が細かい方が、より早く記憶を分解して、無意識の底に沈めることが出来るんですよ。」

 記憶は化石のまま、清潔に、脳の地層の奥底に、大切に仕舞っておければいい。
 磨き上げた宝石のように、ショウ・ケースに並べたものだけを手に取ることが出来れば、どれだけ、何かの引き金で何かを思い出すという行為が、楽しみになることだろう。

「こちらが、記憶痛の鎮痛剤です。何度も音読して、光景を脳裏に思い浮かべて、眠ってください。」

 家に帰ると、寝支度をして、布団に潜り込んだ。
 処方箋を開いて、何度も声に出して読む。

  段々と、頭の中のノイズが消えて、霧が晴れていくのが分かる。
 文章の中に、潜在意識や催眠の効果でも入っているのだろうか。
 処方箋は、いつも違うが、霧が晴れていく感覚は同じだった。
 消したい記憶と同じ内容の時もあれば、まったく関係ない内容の時もある。
 ただ、不思議と、読んでいると、霧が晴れていくように脳内のノイズが止まり、澄明な湖の水面を眺めているような気持ちになる。

「下記の通り、あなたから頂いた記憶を元に、調合した鎮痛剤を処方いたします。お大事になさってください。

 十年前の友人から、家族旅行で地方に行くので会えないかと連絡が入った。
 少し考えて、久しぶりに旧友の顔を見ることで、自分を見つめ直せるかと思い、海辺で待ち合わせた。

 よく晴れた土曜日の昼下がり、彼女と海浜公園の堤防を歩きながら、十年一日、短い近況を報告しあった。
 コーヒーを片手にベンチに座ったときには、二人ともすっかり打ち解けていた。
 私は、手土産の名産を手渡す。
 彼女も、手土産を手渡してくれる。

「私は今、こういう人生を生きています。」
「そうですか。私はこういう人生を生きています。」
「そうですか。十年前も敬愛していたし、今も変わらずあなたのことを好きです。」
「そうですか。ありがとう。私も同じ気持ちです。」
「こちらこそ、ありがとう。」

 二人して十年前と変わらず、何の屈託もなく笑い合う。
 十年間、山も谷も川も砂漠もあったが、確かに必死でその時間を暮らしたし、自分自身の根幹は昔と何も変わらない。
 お互いが、その証人だった。
 老いと若きを行きつ戻りつしながら、今の自分を最も、頼もしく感じる。
 青空の下で、なかなか味わえない、貴重な時間を過ごした。

 この日、海辺で幼馴染と話した記憶は、何度、思い出しても、私の胸を温める。」(終)

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。