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【小短編】みにくいヤドカリの子

あるところに、立派な貝殻に住んでいるヤドカリが居ました。
美しい螺旋模様があり、誰よりも大きな貝殻であることが、ヤドカリの自慢でした。

そこに、カタツムリがやってきました。
カタツムリの殻は、ヤドカリよりも小さく、模様も地味でした。
ヤドカリは、小さな殻のカタツムリを、気の毒に思いました。

「やあ、カタツムリさん。」
「やあ、ヤドカリさん。」
「雨の多い季節になって、ようやく過ごしやすくなってきましたね。」
「本当に、大地が潤っていると、気持ちが伸び伸びしますね。」
カタツムリは角を細めて、目いっぱい嬉しそうに伸びをして言いました。

「どうですか。この貝殻。新しくしたんですよ。」
ヤドカリは、胸を逸らせて、身体をより大きくして、言いました。
「ああ、素敵ですね。とても綺麗だ。」
カタツムリは大きな殻を見上げて言いました。
「ありがとうございます。貝殻を、変えるとね、すごく良いですよ。何て言ったって、大きな貝殻は、晴れでも雨でも快適なのですよ。」

「へえ、そういうものですか。」
「晴れて、太陽がじりじり照りつけてきても、大きな貝殻の中は、ひんやりと涼しくて、まるで、一年中、雨季のような潤いなのですよ。」
カタツムリは、角を傾けて、話に聴き入りました。
「へええ。それは、羨ましい。それは、良いですね。日照りは、怖いですからねえ。私などは、木の洞や、沢のほとりや、藪の奥でじっとして過ごしていますよ。」
「そうでしょう。そうでしょう。それでは、世間が狭くなってしまっていけない。今は、色々と便利なものがありますから。ほかの貝殻は、試したことがないのですか。」
「ええ、生まれてから、ずっとこの貝殻ですね。」
「ええ、生まれてから、ずっとこの貝殻なのですか。」

ヤドカリの声色に、カタツムリは、動揺しました。
生まれて初めての動揺でした。
「ええ、特に、不自由はありませんでしたから。」
「日照りを、暗闇で息を潜めてやり過ごしているのでしょう。それは、十分に不自由ですよ。」
カタツムリは、またもや、ぐにゃりと、角の力が入らないような感覚に襲われました。
「しかし、我々には、ぬめりが必要ですから。日陰は、天国ですよ。落ち葉はふかふかと柔らかくて、石灰岩はしょっぱくて硬くて、鳥の奴も来られないのですから。」
「そうですかあ。世界はこんなにも広いのに。残念ですね。太陽が燦燦と降り注ぐ中で見上げる真っ青な空は、美しいものですよ。ご覧になったことは、ありますか。青空。」
カタツムリは、なぜだか、胸がじくじくと痛み、小さな声で呟きました。
「は、葉陰から、ちらりと。見たことはありますよ。」
ヤドカリは大声で愉快そうに笑いました。
カタツムリも、ヤドカリにつられて、笑いました。ただ笑っただけなのに、笑ってしまったことが、またもや、胸をじくじくさせました。
「葉陰から、ちらりと。いえいえ、それでは、青空の良さは、お分かりにならないでしょう。もし、よろしければ、貸して差し上げましょうか。」
「え。」
「貝殻ですよ。」
「いえ、いえ、悪いですよ。」
「良いのです。良いのです。あなたのためですよ。一度でも、見た方がよいです。人生、何事も、経験なのですから。」

カタツムリは、ヤドカリに借りた大きな貝殻を背負って、いつもの道を歩いていました。
きらびやかな貝殻の模様に、木漏れ日がきらきら反射して、夢のように美しい、宝石の湖に浮かんでいるような気持になりました。
カタツムリは、ここがいつもの道だとは思えず、うっとりとしました。
世界が何もかも明るくて、細部までクリアに見えて、何百倍にも何千倍にも、輝いて見えます。
テンションがぐんぐん上がり、大きな音楽で踊りたくなりました。
未だかつて無く、自分が、強くて、揺るぎなくて、安心感と自信に満ち満ちています。
いま、まさに、カタツムリは完璧なカタツムリでした。
王者か覇者かという気持ちになり、オウジャカハシャカ、オウジャカハシャカと、鼻歌を機嫌よく歌いながら、沢のほとりまで来ました。
いつものように何気なく、沢の石をよじ登ろうとしたときに、後ろから肩をぐいと乱暴に引っ張られたのです。
ぎょっとして、後ろを振り返りましたが、誰もいません。
それは、貝殻の重みでした。
そのあまりの重さに、カタツムリは思わず、角を垂らしました。

「ヤドカリさんは、こんな重たいものをいつも被っているのか。」
少し気持ちがげんなりしましたが、しかし、またすぐに、元気が湧いてきました。
このきらきらした貝殻を、沢の水に映してみたら、どんなに美しいだろうか。
その真ん中に、自分の顔が映るのだ。
そう考えると、カタツムリはぞくぞくしました。

そのときです。
いつもの道だというのに、あまりの貝殻の重さにバランスが崩れてしまい、カタツムリはあわやひっくり返りそうになり、そうはさせるものかと頭と角を勢いよく反対側に鞭のようにしならせて、なんとか踏みとどまったものの、勢いが付きすぎて今度は、沢の底につるりと滑り落ちて、沈みそうになりました。

ひっくり返れば干乾びてカラスの餌食になり、沢の底に沈めば水を飲んで溺れて魚の餌食になった。

二つの死をはっきりと見たカタツムリは、いつもの道の上で、ガタガタと震えました。
背中を、冷たい水が流れていくようで、震えはいつまで立っても、止まりませんでした。

カタツムリは、命からがら、ヤドカリの元に戻ると、丁重に礼を行って、貝殻を返しました。
それから、全速前進で、脇目も振らず、いつもの道を、滑り歩いて真っすぐに帰っていきました。

ヤドカリは、カタツムリが帰っていくと、大きな溜め息を吐きました。

ヤドカリは、ぎょろぎょろと大きな目玉を動かして、周りに誰もいないことを確かめると、こっそりと、大きな貝殻を脱ぎ捨てました。
裸になったヤドカリの背中には、青白くふやけたカタツムリの殻がありました。
「あんなみすぼらしい、みにくい姿で、よくうろうろできるものだ。こっちは親切で、最高の感覚を味合わせてやったのに。貝殻は、重ければ重いほど格が上がるのだ。やっぱりあいつは、なにも分かっていないのだな。」
自慢の一等地の高層岩石からは、宝石箱のように燦然ときらめく、無数に蠢くヤドカリの群れが見えます。苦労して勝ち得た夜景を見下ろしながら、ヤドカリは満足げな吐息を漏らしました。
「さて、寝るとするか。」
ヤドカリは寝床にしている落ち葉の中に、ひっそりと潜り込みました。
(終)

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