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猫になったんだよ僕は

また来たよ!
今朝もまた息子が布団の中に潜り込んで来る。
息子はいつも夜は自分の部屋のベッドで一人で寝ているけれど、隙あらば私と夫のベッドに潜り込んで来る。
私たち夫婦の寝室には二つのベッドをくっ付けて置いているので、正確には息子はいつも私の方のベッドへやって来る。

一年前まで、私の隣は愛猫の定位置だった。しじまは絶対に夜は私のベッドでしか寝なくて、猫可愛がりしていた夫は悔しがっていた。そりゃそうだ、私としじまは生後3ヶ月の頃からの付き合いだもの。

蒸し暑いある夏の夕方、自転車で通りがかった道端に黒い子猫がうずくまっていた。猫好きらしい何人かの人が立ち止まり子猫に声をかけたり撫でようとしていたけれど、子猫は体を硬くして震えていた。
私も自転車から降りて側に行ってみると、子猫はなぜか足元に纏わりついてきて、サンダル履きでむきだしになっていた私の足の指を甘噛みし始めた。
あら、お宅の猫だったんですねとそこに集まっていた人に言われたけれど、今はじめて会った猫である。
しばらく猫と遊んだあと私は自転車に乗り家へと走り出した。振り返るとさっきの子猫が必死の形相で後を追いかけて来るのが見える。
いやいやいや、うちに来られても…ペット禁止だし…と焦った私はスピードをあげ、アパートに着くやいなや、大急ぎで階段を駆け上がり部屋に入ると息を潜めた。廊下の方で、タタタタタタッという小さな足音とニャーニャーという鳴き声が行ったり来たりしている。さっきの猫、ここまで来ちゃったよ…。
なんだか可哀想になり、そっとドアを開けたら子猫と目が合ってしまった。子猫はいちもくさんに駆け寄って来て、当たり前のように部屋に入った。ちょっ…どうするこの猫…。動揺する私。
子猫をよく見るとタラーっと鼻水を垂らし涙目でシバシバしている。
…風邪でもひいてるのかな?お腹空いてるのかな…?と思い、とりあえず冷蔵庫にあったササミを1つあげたらすごい勢いで平らげた。そのあと私の膝に飛び乗るとテコでも動かないぞ!というように丸くなった。
もうこの時には、この子猫を家におこうと決めていた。

それから約18年もの間、私たちは共に暮らした。この国へも一緒に飛行機に乗り海を越えやって来た。長い年月そばで私を支えてくれた。

しじまはいつも私が寝ている足元に飛び乗ると、ベッドの端に沿ってそろりそろりと抜き足差し足みたいに慎重な歩き方で枕元までやって来る。それから前足で私の肩の辺りをトントンと叩いて、入れて入れてと引っ掻くような仕草をする。
私が掛け布団を持ち上げると体の半分だけ中に入って、あとはどうしようかな…という感じで佇むので、待ちきれない私がいつもしじまのお尻をチョイと押して布団の中に入れてやる。しじまは中でぐるぐる旋回してから、自分の丁度いい位置が決まるとコテンと体を倒して横になり、私のお腹に自分の背中をピッタリくっつけて動かなくなる。やがてクークーという小さな寝息が聞こえ始め、冬はとくに湯たんぽを抱いているみたいにとても温かい。

息子をお腹に宿していた時、しじまは、ここに何かいるよという感じで、しきりに私のお腹を前足でふみふみしていた。猫のこの仕草は子猫の頃に母猫のおっぱいを飲んでいた名残らしいけれど、しじまは普段ふみふみを滅多にしない。息子が生まれた後は私のお腹もふみふみしなくなったので、息子が入っていることを知っていてやっていたのだろう。
息子が生まれたばかりの頃は、真夜中も2時間ごとの授乳と夜泣きでほとんど眠れない毎日で、私は一日中パジャマのままベッドとキッチンの往復で、ベッドに辿り着く寸前で床に倒れて意識を失ったまま寝ていた時もあった。そんな時も、しじまは側でじっとみじろぎもせずに丸くなっていた。

しじまのビロードみたいにしっとりとした手触りの黒光りするつやつやの毛、黄色くてまん丸の目力のある大きな瞳、キリッとして野生的な表情、細くて長いシッポ、黒豹みたいに美しい猫だった。
言葉は通じなくても、私はしじまのことを愛していたし、しじまも私を愛していた。息子が生まれた後も、私としじまはいつもぴったりくっついていたので、しじまばっかり可愛がって!お母さんは僕よりしじまが好きなんだ!と息子が泣いて怒ることもあった。
ごめん…それは否定できないかも…。息子と同じくらいか、時にはそれ以上にしじまを愛していた。でも、しじまとは、きみよりずっと短い時間しか一緒にいられないんだよ。だから許してほしい。
しじまはあっという間に私の歳を追い越し、人間年齢でいうと90歳近いおばあちゃんになった。
毎日寝てばかりで、ほとんど食べなくなって、どんどん痩せていった。
私はもうすぐ来るであろう別れの日が怖くて、何とかしじまにご飯を食べさせようとしたけれど、しじまは水さえも飲まなくなり、もう何もいらないと静かなまなざしで私を見つめた。


そしてついに迎えた最期の時、すでに歩くことも出来なくなっていたしじまは、"もう逝くけど、大丈夫?残してゆくのが心配…" とでもいうかのように、這って私の側に来ると寄り添った。
私はしじまを腕の中に抱きしめた。
言葉は通じなくても、心は通じている気がした。
最期の一秒まで目を逸らさず看取ろうと見守った。

しじまは一声鳴くと、苦しそうに息が荒くなり、やがて動かなくなった。

私はとめどなく流れてくる涙を止めることができなくて、しじまの上にもぽたぽた落ちて毛皮が湿った。
しじまの胸に耳をあて、もう心音が聞こえないことを何度も確認し、見開いたままになっていた目をそっと閉じてあげた。

ありがとう、今までずっとありがとね。



いつもしじまが眠っていた私の横に、息子が寝そべっている。
ぼく、猫になったよ。
ふわふわしてない、かたい猫だね。
まだ小さい猫だよ。
えーっお母さんより大きいけどね。
息子は、一生懸命に体を丸めて小さくなろうとする。
まだ小学生だけどもう身長は私を越えた。だけど心の成長はゆっくりでまだ5、6歳くらいな気がする。
ものすごく甘えん坊な時と、牙を剥き出して吠えてる時とは別人な感じで、きみはまるで、ツンデレな猫みたいだ。






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