朝ドラ『おかえりモネ』〜最終回を観終えて
『おかえりモネ』がスタートして序盤が過ぎた頃、しばらく視聴が止まってしまった。
震災時に地元にいなくて「何も出来なかった」と言うモネの、なかば強迫的とも見えるような、”地元の役に立ちたい” という心情が、震災当時の自分と重なってしまったからだ。
私は被災地と呼ばれた地域で生まれ育ったが、地元を離れてから長く、東日本大震災が起きた時にはすでに海外に住んで居た。遠い異国の地から家族の混乱や苦悩をただオロオロしながら見守る事しか出来なかった。
何かしなければ…という焦りにも似た気持ちが、居住国から被災地への物資支援や赤十字の街頭で募金を募る活動など、それまでの自分だったら関わらなかっただろう活動へと向かわせた。
そういった活動には、自分の国で起きたことではないのに、ベビーカーを押しながら小さな子供の手を引きながら参加する居住国の人々がいて、今までこういった活動は人ごとでほとんど無関心だった自分を恥じた。
”あの時そこにいなかった” という部外者感は未だに消えないけれど、菅波先生がモネに言った「あなたの痛みは僕には分かりません。でも分かりたいと思っています」という言葉は、自分の気持ちを代弁してくれているようだった。
そんなわけで、震災にまつわる色々な記憶が顔を出してしまい、視聴を一時中断した『おかえりモネ』だけれど、フォローしているnoterさん達の記事を読み、また続きを観てみようと思え、視聴を再開し最終回まで観終えた。
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ドラマの中では、"復興" という言葉は確か一度も出てこなかったと思う。
それがよかった。
その言葉を聞くたびに、それとは程遠い取り残されてゆくような現実を思っていた。
りょーちんの父・新次の「俺は絶対立ち直らねぇ」という言葉が、痛いほど胸に刺さった。
新次役の浅野忠信くん(ずっとこう呼んでいたので私の中では、浅野くんです)、いい役者になったなぁ。こういう、豪快で素朴で、妻を亡くし絶望し孤独に打ちのめされている元漁師の役を演じるなんて、若い頃のイメージからは想像出来ないくらいハマっていた。
永瀬廉くんと親子という役で、心が弱ってて呑んだくれで、だけどりょーちんの永遠の憧れでもある父親像を体現していたと思う。
永瀬廉くんの、傷ついているりょーちんを繊細に演じた姿にも、こんなに力のある役者さんだったんだなぁと感心した。
主役である永浦百音を演じた清原果耶ちゃんは、19歳とは思えない抑制の効いた演技と沈黙するシーンでの達観したような佇まいも素晴らしかった。一つ一つのセリフを心に刻むように発しているところも心に響いた。
『透明なゆりかご』でその演技力に注目し始めたけれど、『おかえりモネ』ではさらに進化した彼女を見た気がする。
菅波先生を演じた坂口健太郎さんにも好感をもった。菅波先生の人とのコミュニケーションがちょっと苦手で不器用だけど誠実な人柄がリアルに感じられた。
最終回の百音と菅波先生の "時空を超えた" 2年半ぶりの再会では、コロナが終息した未来が描かれていた。
現実にも早くそんな日が来てほしい。
◇
劇中で流れていたアン・サリーさんの歌う「小さな想い」は、子守唄みたい優しく心に沁みて、毎回癒された。
震災の後に残された人たちは様々な痛みを抱えていて、それでも少しづつ自分のペースで前を向こうとする軌跡を毎週観せてもらい、故郷の人々の今を想った。
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