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思えば遠く来たもんだ

子供の頃から私には放浪癖があったらしい。

親が目を離した隙に、しょっちゅう、ふらっと何処かに歩いて行ってしまい、その度に探し回るハメになったのだという。

あれは4歳くらいの記憶だろうか、私は人気のない住宅街の道を一人でテクテク歩いている。
真っ直ぐに歩こうと思っているのにどんどん斜めに逸れて行ってしまい、とうとうドブに落ちてしまった。
下水道が発達していなかった昔の家の脇にはドブと呼ばれる側溝があり、コンクリートの蓋がされていない箇所もあった。臭いヘドロをベッタリと浴びて帰宅した私は、「あんた、どこ見て歩いてるの!」と母にこっぴどく怒られた。
何度洗っても汚れも臭いも落ちず、お気に入りだった水色のカナリアのアップリケが付いたクリーム色のセーターは、着られなくなった。

もっと小さな頃には、よく家の前に来ていた移動式八百屋のおじさんの車に乗って遠くまで行ってしまい、大騒ぎになったこともあったようだ。おじさんが家に送り届けてくれなかったら、幼児誘拐かと思って警察に捜索願いを出すところだった、と母に聞かされた。
たしかそれから、朝起きるとまず布団の上で、自分の名前と住所を復唱させられるようになったのだ。

大人になってもそれは変わらず。
とくに目的もなくブラブラと住宅街や路地裏を歩くのが好きだった。
しかし方向音痴のため、帰れなくなったことは1度や2度ではない。
ある時は引っ越して間もない街で、まだ土地勘もなかったせいもあるが、あれ~こんなところに細い路地がある、この家の窓枠は可愛いなぁ、などと次々に目を惹かれたものを追いながら歩いているうちに、自分が何処にいるのか分からなくなり、自分のアパートに帰れなくなってしまったのだ…。
夕暮れの道で、家路を急ぐ人を捕まえては、「○丁目はどの方向ですか?駅はどっち…?」などと、泣きそうになりながら尋ねて、思いっきり不審がられたりした。

知らない場所をウロウロするのが好きなくせに、方向音痴というのは致命的だ。
道だけじゃなく、建物の中に入るとだいたい自分がどちらの方角から来たのか分からなくなる。
それなのに、私は子供の頃から一人で行動するのが好きで、大人になってからは一人旅にもちょくちょく出かけていた。
そこでも相変わらず時々迷子になって、"自分は今、道に迷ってる" と自覚した瞬間の、背筋がゾワッとなる感じ、それが外国だった場合は言葉も通じなかったりして、さらにゾワゾワーッと、震えが来る。
どうしよう、どうしよう!自分はどっちへ行けばいいんだろう…と、ぐるぐる目が回るような感覚に陥り、ちょっとしたパニックになるのだった。

そういえば、二人で迷ったこともあった。
もう今から20年以上も前のことなので細部の記憶はあやふやだけど、当時付き合っていた彼と電車やバスを乗り継ぎ、東京郊外の山へ行ったことがあった。
二人とも全く計画性がなく、山道を歩いていたら普通の民家の庭先にあるような鍾乳洞に行き当たり、洞窟のような場所に入って見学したりした。
そうこうしているうちに日も暮れかけ、薄暗くなってきたので、そろそろ帰ろうと歩いたが、どんどん山奥に入ってゆくような気がする。
どうやら道を間違え、自分たちが来た方角が分からなくなってしまったようなのだ。
辺りは人影もなくなり、谷間からは、山肌が大きく削られゴツゴツした岩場が剥き出しになった、寂しげな採石場が見えた。
どうしよう…バス亭はどっちだろう…と、二人して困っていたその時、スーッと一台の車が横に停まり運転席の窓が開いて、「どうしました?」と40代くらいの男性が声をかけてきた。
「バスは1時間に1本しかありませんよ。僕も駅まで行くところなので、一緒に乗りませんか?」と男性は誘ってくれたが、私は何か嫌な予感がして、"ダメ!やめよう!"と彼に目で訴えた。にもかかわらず彼は「あ、ご親切にどーも、あざーっす!」と礼を言い、さっさと車に乗ってしまったではないか…。
アンタ!知らない人について行ってはいけません、と教えられなかったのか…!
そうなると、こんな所に一人だけ残るのも怖いしで、仕方なく一緒に乗り込むしか選択肢はなかったが、私の脳裏には、 "山中の採石場でカップルの変死体発見" という、新聞の物騒な見出しが浮かんでいた。映画やドラマでもこんなシーンがあるではないか、親切そうな男が実はシリアルキラーだったという展開が…。
車中、私はずっと手に汗握り無言、生きた心地がしなかった。
30分ほどで駅に到着すると、男性は名前も名乗らず「お気をつけて」と微笑み去って行った。
ほんとにただの親切な人だった。無事でよかった。
疑ってすみませんでした…汗。


そんな風にいつもフラフラと彷徨っていた自分が今は、縁もゆかりもない国で暮らしている。


朝はその日の天気や気分次第で、運動不足解消のために近所の島や、もっと遠くの海岸まで歩くことにしている。
イヤフォンで音楽を聴きながら、空や木々を見上げたり、地面の枯れ葉などを目で追いながら海沿いを歩き続けるうちに、どんどん脇道に入って行ってしまい、はて?今、自分は何処にいるんだっけ?と、一瞬分からなくなることがある。


どうして私はこんな所にいるんだろう…と、思う

小さな子供に戻ってしまったような
心許ない気持ちがこみ上げてくる

ああ、気の向くままに歩いていたら
こんな遠くまで、気づいたら私は来てしまったのだ

もう戻る道はないのだ


自分の人生、寄り道ばっかりして
どんどんコースを外れてここまで来てしまったなぁ…と時々思う


あの頃みたいに
私はずっと迷子になったままなのかもしれない




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