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砂糖、小麦、揚げ物を断つ理由。

あなたの好きな食べものナンバー1はなんですか?(急)

わたしは断然
『かぼちゃの豆乳みそ汁』です。





ちなみに、
以下が
ベスト5の顔ぶれ。


2位、里芋の煮っ転がし
3位、かぼちゃの煮つけ
4位、レンコンのみぞれ味噌汁
5位、炊き立てのもち粟(小豆、梅干し入り)


です。
1位~5位ぜんぶ、
「この世のものとは思えない!なんでこんなにおいしいの?」
食べるたびに、口からこぼれ出てしまう。




わたしが
この1年くらい、

食べものの中で、
依存性を感じるものを中心に

その食品から
離れようとしているのは、

この1位のかぼちゃのみそ汁が
理由と言っても
過言ではございません。


と言うのも、
このかぼちゃのみそ汁、
前回食べたのが半年前なのです。


その前も、半年前くらい。


なので年に2回くらいしか
食べてないんですね。


そんなんで
ほんとうに大好物 NO1なのか?と聞かれたら

胸を張って
「そうです!」と言えるのである。


言えるくらい、大好物なのです。




なにが言いたいかというと、
この、依存性の無さ、です。


大好きなのに、
「食べなきゃ気が済まない!」とかに
ならないんですね。

仕事で疲れた帰り道、
「今日は、かぼちゃの豆乳みそ汁をかぶ飲みしてやるーーーーー!」とか、
無いんです。


仕事で疲れた帰り道は、
だいたい「揚げものたべたい!あまーいカフェオレが飲みたい!」となるんです。



たぶん、好物のNo1が
ファストフードのフライドポテトのひとは、

前回フライドポテトを
食べたのが半年前、というひとは、
いないと思う。

きっと、
もっと高い頻度で
食べているのではないか。

(めっちゃストイックにコントロールして、1年に2回までってしてる人がいるかもしれないが)




なので
わたしはこの『◯◯を食べたくて仕方がない』のような食欲に、
違和感、警戒心があるのです。



いや、『食べないと気が済まないくらい大好物』とも言えるのかもしれないが、


わたしにとって
かぼちゃのみそ汁を食べたときに感じた満足が、
心底心地よかったのです。




▷ ほんとうの満足感。

 

いぜん、
一人用の土鍋で
かぼちゃの豆乳みそ汁を
作って飲んだことがあったんですね。


じぶんで、
かぼちゃをみそ汁の具材にしたのは
初めてで


こどものころ、 
祖母の家で飲んだだけ。
なんか甘いなー、ご飯と合わないなー、
と思ったのを覚えている。


でも
お味噌汁が飲みたくて
そのときにあったかぼちゃを使った。



ひとくち飲んだ瞬間に
あまりにおいしくて、


しみじみと
惚れ惚れするように

染み入る味わいを
感じながら飲んだ。




そして
飲み終えて空になった土鍋の底を
うっとり見ていたんです。
無意識に。
1分間くらい。
うっとーーーーーーーーーーーーーーーり、のように。



あまりにおいしくて、
満足して、感動して、
豊かさが満ちて、
なにもない土鍋の底を
しばらく眺めていたじぶんが居たんです。



そんなことは、
はじめてだった。




なんとも言えない至福だった。


ひとは、お味噌汁一杯で

こんなにも満足できる。

それを知ってしまった体験だった。


感動して、惚れ惚れして、沸き上がる豊かさで、しみじみと染み入る満ち足りた余韻。


わたしにとっての
選びたい食べものというのは、
そういった満ち足りた豊かさ、
依存性の無さにあり、

なので 
ジャンクな食べものに見られるような
依存的で
繰り返し頻繁に食べたくなるその衝動が、
窮屈で邪魔くさくて仕方がないんです。




食べても
食べなくても平気。

かぼちゃが手に入れば食べようかな、といった
その自由さが

最高に心地よい。




▷ おいしい必要性。


むかしは料理が大好きで
休日は、
時間のほとんどを台所ですごし

スパイスカレーを
研究したりしていたが

ここ数年、
食べものについて
あの手この手のおいしい味付けの必要性
あまり感じなくなってきており…。



いや、おいしいほうがいいのだけれど、(どっちだ)
まずいものが、おいしいと感じるようになったりするし、

「ものを食べる」ということは
イコール「おいしく食べる」という必要性が、
あるのかどうか。。というところである。



個人的に、
炊いてから
2~3日目の
冷蔵庫に入れておいた
なんらおいしくもない
バッサバサのもち粟
ボッソボソと食べるのも、好き。


拾ってきた山栗を
茹でて食べるだけで満足。



外食に関心がなくなったのも、
わたしがミシュラン3つ星などのお店を知らないからであり、
カイルアビーチでココナッツシュリンプバーガーを食べたことがないからかもしれない。



それでも思うには、思う。


おいしいものを楽しく食べるということが、
多くのひとびとの心を救っているのだろうな、とほんとうに思う。




数カ月まえ、
駅のホームで女子高生が

「あー!ムカツク!帰りにぜったい〇〇のフラペチーノ飲む!だから頑張る!」と、
話しているのが聞こえて来たことがあった。

わたしは、心底、
『おいしいものって、すごいんだなぁ』と思った。




ひとびとの心を、癒し、救う。

スイーツドリンクが、

そのウサの根本原因の解決にならなくても、

いっしゅんでウサをはらす力が
あるということこそに、救いを求め、

またスイーツドリンクも
救世主のような存在になりえるのだろう。



わたしも実際、
おいしいものを食べて、
おどろくほど不思議なくらいに
いっしゅんで元気がでた経験をしている。



なので、
おいしい食べものは、すごい。

スゴい力をひとびとに与える。



そう思うことをふまえて、
それでも思うことがある。


おいしいものを
たとえ食べなくても
あなたはあなたを鼓舞する力
本来持っているのではないか、と

女子高生の後ろ姿を
ぼんやり見ながら
思ってしまうのです。




▷ 仙豆がいい。



ここ数年では、
食べなくて済むなら
どんなにいいだろう、と考えていた。


もともと大食いの食いしん坊のわたしが、
そんなふうに考える日がくるとは、
夢にも思わず。


仙豆でいいのにな。(ドラゴンボールの)
ひとつぶで10日間生きられたら、楽ー


昔、テレビで明石家さんまさんが
「オレ、食べものに興味ないねん」と言っていて

『そんなひと、いるんだ!』
当時おどろいたが、

いまでも、食べものに興味はあるものの
仙豆でいいのになぁ、と思うじぶんが
居るようになった。




この先いつまで食べ続ければええねん、
というマヌケな疑問と、


少食を実行したときの心地よさと、


チリ鉱山崩落事故で閉じこめられ、
極少量の食料しかなかったにもかかわらず
元気に生き延びていた33人のことを
思い出すたびに、


食べるということについて
距離を置いてみたくなる。
(でも食べちゃう)




▷ 「おいしい」という娯楽から離れて。


じぶんで料理したものが
やはりじぶんの好みに、あう。




出先の外食は
あまり味を感じないことが増えた。
(味覚障害だろうか?)


むかし大好きだった居酒屋の
かずかずの思い出を頭に浮かべ、

「おいしいって、娯楽だったんだなー」なんて
あらためて思う有り様です。


よって
ますます家で食事をすることを死守。





おいしいは、楽しい。



それはそう。
ずっとそうだった。



なのに、
食べなくてもいいことに
いまは関心が向いてしまう。
そこに自由を
感じはじめてるじぶんがいる。





おいしいものは、多い。
そんなおいしさのあまりに、
すぐに食べたくなるお菓子やパン。

食べはじめると、
どんどん食べ出してしまう揚げ物。




おいしいは、楽しい。
おいしいは、幸せ。


食事を(みんなで笑顔で)楽しく食べた方が、
栄養の吸収率は高まると
科学的に言われている。


だからやはり
おいしく楽しく食べるに越したことはない。



好きなものを
好きなだけ
好きなように食べるのも
自由。




けれどわたしは、
砂糖、小麦、揚げ物から離れて、
楽になった。





食べるよりも
食べないことに関心がむかう。

それは寂しいことなのか、
はたまた自由であることなのか。




食べないことに
自由を感じるのか、
それとも
不自由さを感じるのか。





おいしすぎて
ウハウハするような
その刺激からしばし離れて。

依存的なおいしさに
囚われない、自由さ。





今年の秋も、
柿を5~6個、いただいた。



おいしかった。


これがもし、
明日も明後日も、しあさっても
食べたくて食べたくて仕方がない!ってなってしまったら、
わたしは柿を食べるのを
やめる方向に
持っていくと思う。



だけど
柿は、「また来年」って
今年の分は、おしまい。


来年になったら、
食べないかもしれないし
食べるかもしれない。


また来年。
またいつか。
それで大丈夫な
そんなじぶんが
心地良いのだと気がつく。




砂糖や小麦や、揚げ物から
離れてみて、そう感じた。




食べないことが平気になってくると

ガマン ” が “ 自由 ” へと
入れ替わるのかもしれない。


食べないことに感じる自由。

今はただ、
せっかくのこの自由さを
全身全霊で感じて味わいたい。


全身全霊で
この自由を味わう。


全身全霊で今、 
この自由を感じて、味わう。



☕︎Have a nice day! ☕︎


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