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デザイン思考と意味形成 PARTⅢ

 デザイン思考でも確かに、意味のイノベーションを起こせる可能性はある。ただ、このように書いてしまうと、「デザイン思考=デザイン・ドリブン・イノベーション」との誤解を招く恐れがある。この等式は部分的には成り立つにしても、完全にはイコールでつなぐことはできない。両者の間には依然として、大きな違いが残っているからである。それらの部分を混同すべきではない。それにもかかわらず、欧州勢の先行研究ではその辺りの議論がスッポリと抜け落ちてしまっている。

 まず、デザイン思考とデザイン・ドリブン・イノベーション(以下、DDIとする)では、意味のイノベーションの扱われ方が異なっている。デザイン思考は、別に最初から意味のイノベーションの実現を目指しているわけではなく、それはどちらかというと結果論に近い。つまり、本編⑨のところで述べたように、デザイン思考では厄介な問題を取り扱うことが多く、そのような問題に挑もうとする際の問題解決プロセスは、まず問題を理解し、それを定義するところから始まる。何を問題と捉えるかの自由度は高いため、定義の仕方次第では、これまでとは全く異なる視点から製品やサービスを見つめ直すことが可能になる。そして、そこで面白い、ユニークな視点の転換がなされた場合、意味のイノベーションが生まれる(逆に、そのような視点の転換がなされなければ、意味のイノベーションは生まれない)。それに対して、DDIは、最初から意味のイノベーションを起こすことを目的としたアプローチである(Verganti,2009)。

 さらに、デザイン思考とDDIでは、「意味の所在」を巡る認識も異なる。本編⑦のところで述べたように、両者では、イノベーションの火種を探索しようとする際にアプローチする対象が異なっている。デザイン思考が目の前にいる「個人(あなた)」に注目するミクロなアプローチであるのに対して、DDIは人々が埋め込まれている「社会や文化の構造」に注目するマクロなアプローチである(森永,2021)[注1]。そして、このことは、両者の間で意味の所在を巡る認識が異なっていることを示唆している。

 デザイン思考では、意味はユーザーの内側で発生すると考えている。その結果、ユーザー個人に焦点が当てられ、彼らを取り巻く社会的な文脈や文化にはあまり焦点が当たらない。それに対して、DDIでは、意味はユーザーの外側(社会や文化の側)にあると考えている。このような考え方は、本編⑦のところでも見たように、「美」を例にとると分かりやすいかもしれない。美の基準は、個人間でもばらつきはあるが、地域や時代によっても大きく異なる。ある地域では、太っていることが美であったり、ある時代では、引目(ひきめ)、鉤鼻(かぎばな)、御樗蒲口(おちょぼぐち)が美であったりする。そして、それらの点に注目すれば、美の基準は個人の中にあるというよりは、むしろ個人を取り巻く社会や文化の側にあると考えることができる。

  このように、デザイン思考とDDIでは、意味の探索に向かう際の入口がそれぞれ異なっている。ただし、注意すべきは、入口は違っていても、時として同じ出口にたどり着く場合があるという点である。例えば、デザイン思考であっても、観察者が「何かに気づいてしまった自分に気づく」という内省的なプロセスを繰り返すことで、自分が無意識のうちに埋め込まれている社会や文化の構造に気づき、それらを革新できる可能性がある[注2]。つまり、最初はミクロな個人に注目しつつも、結果として社会や文化を支配するマクロな意味の革新にたどり着く場合があるのである。水越(2013)は、そのような現象を「ミクロな消費行動の中に見えるマクロな社会」(113頁)と表現している。

  あるいは、デザイン思考であっても、エクストリームユーザーを観察対象に選んだ場合は、結果としてマクロな意味の革新にたどり着ける可能性がある(詳細は本編⑫を参照)。エクストリームユーザー(extreme user)とは、正規分布の両端にいるような「とても極端な人」のことである(増田,2018)。そのうち、特に革新的な消費者である「イノベーター」や流行に敏感な消費者である「アーリーアダプター」を観察対象に選んだ場合は、DDIと同様の成果が得られるかもしれない。彼らの中には、何かにつけて時代の先端を走っている人々が一定数おり、彼らを観察することで、新しい社会の構造や文化の到来(あるいは、その兆し)を窺い知ることができるかもしれないからである。その意味では、デザイン思考であってもDDIと同様に、マクロな意味の革新も可能ということになる。


[注1] DDIでは、社会や文化などのマクロな構造に対峙しようとするが、実際にそこから社会のトレンドや最先端の文化の動きなどを捉える役割を担うのは、社会学者やアーティスト、雑誌の編集者などの(少数ではあるが)多様な専門家たちである(Verganti,2011)。つまり、DDIとは、社外にいる専門家たちを上手く活用することで支配的な意味から逃れ、新しい意味を見出そうとする方法論なのである。

[注2] このように(何かに気づいてしまった)自分に注目するアプローチは、哲学において「直観検証型思考」などと呼ばれる(竹田・西, 1998)。

 
●参考文献
増田明子(2018)「消費者の徹底的な観察から潜在的な課題を発見する」『宣 
 伝会議』2018年12月号、27-29頁。
水越康介(2013)「理論+リアルのマーケティング:「戌の日」は何の日? イ 
 クメンとパパ消費」『週刊東洋経済』2013年8月24日号、112-113頁。
森永泰史(2021)『デザイン、アート、イノベーション』同文舘出版。Berthoin Antal. A. (2012), “Artistic intervention residencies and their
 intermediaries: A comparative analysis.” Organizational Aesthetics, Vol.1,
 No.1, pp.44-67.
竹田青嗣・西研(1998)『はじめての哲学史』有斐閣アルマ。
Verganti, R. (2009), Design-Driven Innovation: Changing the Rules of
 Competition by Radically Innovation What Things Mean. Harvard Business
 School Press. (佐藤典司・岩谷昌樹・八重樫文・立命館大学経営学部 DML
 訳『デザイン・ドリブン・イノベーション』同友館、2012)
Verganti, R. (2011), “Designing Breakthrough Products.” Harvard Business
 Review, Vol. 89, No.10, October, pp.114-120.
Whitaker, A. (2016), Art Thinking: How to Carve Out Creative Space in a World
 of Schedules, Budgets and Bosses. Harper Collins. (不二淑子訳・ 電通京都
 ビジネスアクセラレーションセンター編『アートシンキング:未知の領域が
 生まれるビジネス思考術』ハーパーコリンズジャパン、2020)
横地早和子(2020)『創造するエキスパートたち:アーティストと創作ビジョ
 ン』共立出版。

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