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「あなた」と「私」の境界線

 通常、デザイン思考は「あなた」を起点とするアウトサイド・インのアプローチで、アート思考は「」を起点とするインサイド・アウトのアプローチとされているが(森永,2021)、その境界線は実は曖昧である。今回からは2回にわたって、両者の間の境界線について考えてみたい。まずは、デザイン思考からである。

 そもそも、なぜデザイン思考では「あなた」を観察するのかというと、それは自分では自分の姿や行為が見えないからである。これまでも述べてきたように、本来であれば、イノベーションの火種を起こすには自分自身を深く理解するだけでよい。そうすることで、既知から自由になることができるからである。しかし、我々は残念ながら、自分自身の姿や行為を見ることができない。そのため、デザイン思考では、一旦他人に自分の姿を投影し、それをじっくり観察することで、自分に対する理解を深めよう(あるいは、バイアスをはがして自分を再発見しよう)としているのである。

 つまり、デザイン思考の発想とは、言ってしまえば「人のふり見て、我がふり直せ」であり、他人を道具として一旦借りてきて自分(人間)を深く理解しようとしているのである。そして、そのように考えると、デザイン思考は「あなた」を起点としているものの、実は「私」を投影した「他者」を起点としているともいえ、「あなた」と「私」の境界線は曖昧になる。まさに、(映画『転校生』の原作である)山中恒氏の小説『おれがあいつで、あいつがおれで』状態なのである[注1]

 ただし、このような手法や発想は、なにもデザイン思考の専売特許というわけではなく、古くから様々な領域で用いられてきた。その意味で、普遍性の高いアプローチということができる。例えば、観察的手法の本家である文化人類学では、これまで多くの異文化や異民族を見つめ、彼らの一見不可思議な(時には滑稽にさえ見える)習慣を観察してきたが、そのような異民族の行為を見つめるのは、突き詰めると日常の中にある「あたりまえ」を疑い、自分たちのことをより深く理解するためである。


 例えば、ニューギニアのトロブリアンド諸島では、赤色の貝の首飾りと白色の貝の腕輪を贈り物として、仲間の島から島の間で循環させていく。他の島からもらった贈り物はしばらく手元に置いた後、別の島へと贈られ、保有し続けることは許されない(Malinowski, 1922)。こういった話を聞くと、全く異質な世界の理解不可能な話に思えるかもしれない。しかし、実は私たちも無自覚のうちに同じようなことを行っている(松村圭一郎・中川理・石井美保,2019)。例えば、サッカーのワールドカップの優勝トロフィーがそうである。優勝してもそれを所有し続けることはできない。4年後には次の優勝国へと引き渡されていく。それでも、選手だけでなくサポーターも(この売ることもできない)モノの争奪戦に熱狂する。このように、異文化を観察することではじめて、私たちもモノを介して不思議なコミュニケーションを行っていることに気づくのである。

 その他、ロボット工学や霊長類研究の領域などでも、以下に示すように、(それが主たる目的ではないかもしれないが)同種の意図を共有している。自分たちに近接しながらも決して自分たちではないもの(アンドロイドやチンパンジーなど)を理解することで、自分たち「人間」に対する理解を深めようとしているのである。

 「モデルの人に見かけが酷似したアンドロイドである「ジェミノイド」を人間理解のための研究用プラットフォームと捉え、工学的、認知科学的、さらには脳科学的手法を用いて、様々な研究課題の検証を行っています」

『大阪大学大学院基礎工学研究科』「石黒研究室HP」

「これまで「人間とは何か?」ということを考えてきました。そして、その問いに答えるためにチンパンジーの研究をしてきました」

『京都大学霊長類研究所』「チンパンジー・アイ 松沢哲郎先生講演」

 なお、一旦他者に投影しないと自分のことが理解できないのは、決して我々一般人の感性が鈍いからではなく、鋭い感性を持つはずの人物でも同じである。フランスの著名な社会学者のピエール・ブルデュー(Bourdieu, P.)氏の次のエピソードがそのことをよく物語っている。彼は、アルジェリア北部のカリビア地方の農村を調査しているが、それによってはじめて自身の生まれ故郷のことをより深く理解することができたという。de Certeau(1990)によると、「およそ出身地ならみなそうであるように言葉なきままにとどまっていたものを、カリビアの情景に自分の似姿を見出し(ブルデューのカリビア研究によれば、この地は生まれ故郷に極めて近いという)、そうして自分を言い表せるようになったに違いない」(邦訳151頁)とされている。


[注1] 同小説は、ふとしたはずみで少年と少女の身体が入れ替わってしまうという、性転換フィクションの元祖であるが、近年では『君の名は』の方がイメージしやすいかもしれない。そこでは、異性の体や生活習慣の違いに対する戸惑い、相互理解の形成などがユーモラスに描かれている。



●参考文献
de Certeau, M.(1990), L’invention du Quotidien,1: Arts de faire Editions.
 Gallimard.(山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』ちくま学芸文 
 庫、2021)
Malinowski, B.K.(1922), Tristes Tropiques, Librairie Plon, S. A. (増田義郎訳
 『改訂版 西太平洋の遠洋航海者』講談社学術文庫、2010) 
松村圭一郎・中川理・石井美保編(2019)『文化人類学の思考法』世界思想
 社。
森永泰史(2021)『デザイン、アート、イノベーション』同文舘出版。
山中恒(1982)『おれがあいつで、あいつがおれで』旺文社。

 ●参考Webページ
京都大学霊長類研究所 チンパンジー・アイ 松沢哲郎先生講演 
   (https://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/l/What-is-uniquely-human=An-
    answer-from-the-study-of-chimpanzee-mind.html)  2021年12月18日閲覧。
大阪大学大学院基礎工学研究科 石黒研究HP
 (https://www.irl.sys.es.osaka-u.ac.jp/projects/geminoid)   
 2021年12月18日閲覧。

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