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デザイン思考と起業行動 PARTⅠ

 今回からは起業行動との関係について考えてみたい。本編⑧のところで述べたように、欧州ではデザイン思考にはスプリントの実行が含まれるとする論調があるが、そのような理解の仕方は本当に正しいのであろうか。

 ここでいうスプリントとは、短い期間内に高速でアイデアの実証や実験を繰り返して開発を加速させ、新しいソリューションを迅速かつ効率的に市場に投入することで、不確実性に対処しようとするアプローチのことである(Dell’Era, Magistretti, Cautela, Verganti and Zurlo,2016)。その一方で、一般的なデザイン思考のプロセスの中にも同様のアプローチが認められるため、一見すると、それは包含可能なようにも思われる。具体的には、デザイン思考プロセスにおけるプロトタイプとテストの段階がそれに該当すると考えられる(Brown,2019)。

デザイン思考の5段階
            出所:スタンフォード大学d.schoolのホームページより翻訳して引用。

 
 デザイン思考は、上の図のように、共感/理解、定義/明確化、アイデア造り、プロトタイプ、テストの5段階からなるプロセスとして定式化されることが多い。最初の共感/理解の段階では、選ばれたユーザーの日常の観察を行うことから生活に関する共感を得る。続く定義/明確化の段階では、先の観察で得られた情報を要約し、問題解決のための視座を形成する。そして、アイデア造りの段階では、形成された視座に基づき、多様なアイデアを創出する。さらに、プロトタイプの段階では、アイデアを様々な形式のプロトタイプに作り替えていく。最後にテストの段階では、制作されたプロトタイプの実験や評価を行う。これらのプロセスを何度も繰り返しながら、答えを導き出していく。このように、デザイン思考ではアイデアを大量に生み出し、その実証や実験を高速で繰り返し行うため、その意味では、上で見たスプリントに似ているといえる。

 また、デザイン思考を巡る議論では「ピボット」という概念が使われることもある。ピボットとは、一般的には回転する物体の軸(回転軸)のことであるが、デザイン思考の文脈で使われる場合は、探索的な思考プロセスのことを指す(安井,2014;廣田,2019)。より具体的には、行為者の創造の枠組みを次の段階へと進める支点のことであったり(安井,2014)、実験で明らかになった結果をもとに修正を施す行動のことであったりする(廣田,2019)。さらに、その行動には、目標自体を修正するための開放型のピボット(問題定義自体の変更)と、目標に向かうルートを修正するための閉鎖型のピボット(代替案の探索)の二種類があるとされている。これらは、試行錯誤を通じて市場の不確実性に対処しようとするアプローチであり、その意味では、上で見たスプリントと似ているといえる。

 ただし、欧州勢の先行研究にいうスプリントは、そのような創造的な問題解決の枠内に納まるものばかりではない。彼らのいうスプリントとは、創造的な問題解決にリーン・スタートアップやアジャイル開発などの考え方が足し合わされた、拡張された概念だからである(Dell’Era et al,2016)。

 元々、スプリントは短距離走を意味するため、その名を冠した作業も通常は、1週間から4週間の短期間で完結する場合が多い(Banfield, Lombardo and Wax,2015)。しかし、リーン・スタートアップやアジャイル開発では、それよりも長期にわたる作業が想定されている(Ries,2011;Knapp, Zeratsky and Kowitz,2016)。特にリーン・スタートアップでは、「実践投入からの学び」が信条とされている(Ries,2011)。そのため、実際に必要最小限の機能を持った製品(Minimum Viable Product)が作られ、ユーザーの元に有料で届けられる。そして、ある程度のユーザー数を確保した上で、頻繁に製品の改訂が行われる。このような作業は時に、持続可能な事業が育つまで数年単位で続けられる。したがって、一口に試行錯誤と言っても、デザイン思考とは想定している時間軸が異なる

 また、リーン・スタートアップにおいてもピボット(方向転換)の概念が登場してくるが、それが対象とする次元もデザイン思考とは異なっている。デザイン思考におけるピボットの対象は主に製品やサービスそのものであるが、リーン・スタートアップでは、その背後にある戦略が主たる対象とされている(Ries,2011)。そこでは、製品やサービスの改訂に留まらず、企業の在り方やビジネスモデルまでも改訂してしまう(むしろ、それらを改訂することに主眼が置かれているとさえ言える)。つまり、両者の間ではピボットが対象とする次元も異なっているのである。このように、欧州勢の先行研究にいうスプリントは、時間・次元ともに、これまでデザイン思考が想定していたものより広大である。

 さらに、拡張されたスプリントの概念は、理論的には問題解決ではなく、学習プロセスとして捉えられることもある(Far and Dyer,2014)。そこでは、個別の製品開発プロジェクトではなく、プロジェクトをまたいで引き継がれ深められていく活動(失敗を通じて獲得した教訓を、迅速かつ確実に次に活かす活動)に関心が寄せられる。それに対して、デザイン思考はどちらかと言えば、一つのプロジェクト内で完結する傾向が強い思考法である。そもそも、デザイン思考のモデルとなったデザイナーたちは、一つの製品開発の終了と共に作業を終えるような仕事のやり方を採用してきた。言い換えれば、製品開発を「自己完結した独立の問題解決プロセス」と捉えてきたのである。

 このように、欧州勢の先行研究にいうスプリントの概念は、従来のデザイン思考よりもカバー範囲が広大であるだけでなく、理論的にも異なる性格を帯びている可能性がある。それらの部分を議論することなく、デザイン思考の概念を勝手に拡張しても良いのであろうか。次回からは、この問題について考えていきたい。



●参考文献
Banfield, R., C. T. Lombardo and T. Wax. (2015), Design Sprint: A Practical
 Guidebook for Building Great Digital Product. O’Reilly Media, Inc. (安藤幸 
 央・佐藤伸哉監訳 牧野聡訳『デザインスプリント:プロダクトを成功に 
 導く短期集中実践ガイド』オライリー・ジャパン、2016)
Brown, T. (2019), Change by Design, Revised and Updated: How design
 thinking transforms organizations and inspires innovation. Harper Collins
 Publishers (千葉敏生訳『デザイン思考が世界を変える アップデート版』早
 川書房、2019)
Dell’Era, C., C. Magistretti, C. Cautela, R. Verganti and F. Zurlo.(2020),"Four
 Kinds of Design Thinking: From Ideating to Making, Engaging and
 Criticizing, Creativity and Innovation Management." Vol.29, No.2, pp.324- 
 344.
Far, N. and J. Dyer. (2014),The Innovator's Method: Bringing the Lean Start-Up
 Into Your Organization , Harvard Business Review Press.(新井宏征訳『成功
 するイノベーションはなにが違うのか』翔泳社、2015)
廣田章光(2019)「デザイン・ドリブン型開発における対話構造の解明:対話ピ
 ボット(Pivot)による考察」『2019年度日本認知科学会第36回大会』209- 
 215頁。
Knapp, J., Z. John and K. Braden. (2012), SPRINT How to Solve Big Problem
 and Test New Idea in Just Five Days. Simon & Schuster. (櫻井裕子訳
 『SPRINT 最速仕事術』ダイヤモンド社、2017)
Ries, E. (2011), The Lean Startup: How Today’s Entrepreneurs Use Continuous
 Innovation to Create Radically Successful Businesses. Currency. (井口耕二訳 
 『リーン・スター トアップ』日経 BP、2012)
安井重哉(2014)「ピボット概念による創造プロセスのモデル化」『デザイン 
 学研究』第21巻、第3号、36-41頁。


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