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多方面からのエビデンス

 前回述べたように、すべての人間は無自覚・無意識に支配されているため、自分のことを100%は理解できていない(ただし、何パーセント理解できているのかについては諸説がある)。だからこそ、無自覚・無意識領域に深く切り込み、覚醒させることができれば、イノベーションを興すことが可能になる[注1]。つまり、誤解を恐れずに言えば、イノベーションの火種を起こすには、自分自身を深く理解するだけで十分なのである。そうすることで、既知から自由になり、これまで隠されていた価値観や新しい価値観に気づくことができる。以下に示すように、様々な領域の専門家たちも異口同音にそのことを述べている。

 例えば、インドの宗教哲学者ジッドゥ・クリシュナムルティ(Krishnamurti, J.)氏は、「人は自分自身を理解することなしには世界の状況を変化させることに着手することは出来ません。もしあなたがそれを見るなら、その時即座にあなたの内部に、完全な革命が起こるのです」(『世界偉人名言集』)と述べている。ここで彼がいう「(あなたの内部に起こる)革命」とは、既存の枠組みが壊れ、自分自身への理解が深まったことを指している。

 また、知識創造理論で有名な経営学者の野中郁次郎氏は、「移転困難な知識を目の前にして、苦しみながらもそれらを翻訳してやろうという能動性が新たな知識を創造する、すなわちイノベーションを起こす際のトリガーになる」と述べている(小川(2000)、284頁)。ここでいう移転困難な知識とは、暗黙知や粘着性のある情報のことであり、そのような人間の無意識領域にあるものと(苦しくとも)対峙することこそ、イノベーションの基本と述べているのである。

 
 その他にも、編集者の佐渡島庸平氏は、「現実には曖昧さがあふれている。それを社会の常識、既知の枠組み(バイアス)で見ている限り、その曖昧さに気づくことはできない[注2]。曖昧さは自らの観察によって発見しに行き、そして、それを曖昧なまま受け入れなければならない」(203頁)と述べ、バイアスを壊して曖昧さを見つけ出し、それをそのまま受け入れることの重要性を指摘しているが、経営学者のリチャード・レスター(Lester, R.K.)氏とマイケル・ピオーリ(Piore, J. M.)氏は、そのような「曖昧さとの対話」こそ、イノベーション創出の鍵になると述べている(67頁)。

 
 さらに、デザイナーの原研哉氏は、デザインの役割とは「日常を未知化する」(27頁)ことにあると述べ、「知っていたはずのものを未知なるものとして、そのリアリティにおののかせることが、何かをもう少し深く認識させることにつながる」(まえがきを一部修正)としている。彼のコップを用いた以下の喩話は、秀逸である。

「たとえば、ここにコップが一つあるとしよう。あなたはこのコップについて分かっているかもしれない。しかし、ひとたびコップをデザインしてくださいと言われたらどうだろう。どんなコップにしようかと、あなたはコップについて少し分からなくなる。さらにコップから皿まで、微妙に深さの異なるガラスの容れ物が何十もあなたの目の前に一列に並べられる。グラデーションをなすその容器の中で、どこからがコップでどこからが皿であるか、その境界線を示すよう言われたらどうであろうか。こうしてあなたはコップについてまた少しわからなくなる。しかし、コップについて分からなくなったあなたは以前よりコップに対する認識が後退したわけではない。むしろその逆である。」(まえがき)


 同様に、アーティストのパウル・クレー(Klee, P.)氏も、「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、見えないものを見えるようにすることにある」(上巻・邦訳162頁)と述べ、表面に出てこない数多くの現実の存在に気づくことの重要性を指摘している。我々の多くは、自分が見たいものしか見ていないため、目には映っていても、見えていないものが多い。例えば、我々はライオンやゾウの絵を、実物を見ずとも描くことができる。それは記号として頭の中に記憶しているからである。しかし、そのような記号化の力は強く、実物を目の前にしても、その記号をベースに絵を描いてしまう。つまり、「見て」はいるけど、「観て」いないのである。


 このように、様々な領域の専門家が異口同音に、自分自身を深く理解することの重要性を述べているが、特に最後の2人の発言は、デザインやアートの本質が既存の枠組み(バイアス)を壊すことにあり、デザイナーやアーティストはそれらの作業を通じて新しい価値観を生み出し、イノベーションに貢献できることを示唆している。そして、それらの部分こそが、デザイン思考やアート思考の話に繋がっていく部分なのである。


 [注1] 以上のような話をすると、私のような『週刊少年ジャンプ』で育ったアラフィフ世代の中には、「人間は自分の潜在能力の30%しか使うことができんが、北斗神拳は残りの70%を使うことに極意がある」(コミック第一巻)というケンシロウの名台詞を思い出す人がいるかもしれない(笑)。

[注2] 例えば、受動態と能動態という二元論で物事を見ていると、そのどちらでもない状態(「する」と「される」の外側にある世界=中動態)に気づくことができない(國分,2017)。


●参考文献
原研哉(2003)『デザインのデザイン』岩波書店。
Klee, P.(1956), Das Bildnerische Denken. Benno Schwabe & Co.Verlag Basel. 
 (土方定一・菊盛英夫・坂崎乙郎訳『造形思考(上)』ちくま学芸文庫、2016)
國分功一郎(2017)『中動態の世界 意志と責任の考古学』医学書院。 
Lester, R. and M. J. Piore. (2004), Innovation: The Missing Dimension.  Harvard
     University Press. (依田直也訳『イノベーション:「曖昧さ」との対話による 
   企業革新』生産性出版、2006)
小川進(2000)『イノベーションの発生論理』千倉書房。
佐渡島庸平(2021)『観察力の鍛え方』SB新書。

 ●参考Webページ
『世界偉人名言集』(https://todays-list.com/)  2021年12月15日閲覧。

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