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イノベーションと脳の関係

 デザイン思考とアート思考そのものについて語る前に、まずはイノベーションと脳の関係から話を始めてみたい。

 デザイン思考やアート思考は、イノベーションを生み出すための新たな方法論として近年注目を浴びるようになっているが、そもそもイノベーションとは、新しい技術や製品を開発することではない。その本質は、いわばパラダイム・シフトを起こすことであり、組織内外の人々が持つ価値観や文化の改訂を促したり、それらを再構築したりすることである(Christensen,1997; Rogers,1982)。つまり、イノベーションとは究極的には、新しい技術の有無とは関係なく、それまでの人間の価値観や認識を作り替えたり、新しく生み出したりしようとする試みなのである。


 そして、そのような新しい価値観を創出するには、既存の価値観から自由になることが必要になるが、そのためには、自分自身を支配しているバイアス(既存の枠組み)を一旦壊さなければならない。つまり、自分自身を深く理解することが求められるのである。しかし、それは容易なことではない。なぜなら、バイアスは人間の脳が持つ宿命的な存在だからである。そもそも、なぜ人間にバイアスが生じるのかというと、それは、脳にかかる情報処理の負荷を軽減するためである。もし、入力されるすべての情報を馬鹿正直に処理しようとすると、かつてのAIやロボットのように脳が負荷に耐え切れずフリーズしてしまう(いわゆるフレーム問題)。それを避けるために、人間の脳は、経験則に基づいてヒューリスティックに情報を受け流すようにできているのである。

 Nørretrandes(1991)によると、人間は、毎秒1120万ビット以上の情報を受け取っているが、脳はそれらの情報をすべて処理することはできないため、意識下に留まった40ビットほどの情報を基にシミュレーションを行い、つじつま合わせを行っているとされている。つまり、不足分を、それまでの経験則で補ってみたり、処理した情報から作り出したイメージで補ったりしているのである(逆にいうと、きちんと処理しているのは入力された情報の1%にも満たないということになる)。このように、脳はどうしても「サボる」ようにできているため、処理されずスルーされている情報が多い。しかし、その部分にこそ、イノベーションの種が潜んでいるのである。


 したがって、そのような宿命と対峙して無自覚・無意識領域に切り込み、自分自身を深く理解することが新しい価値の発見につながり、ひいてはイノベーションの実現にもつながっていく。そして、今話題のデザイン思考やアート思考は、そのような無自覚・無意識領域に切り込んでいくための方法論なのである。次回からは、デザイン思考やアート思考が、そのような領域にどのように切り込んでいこうとしているのかについて説明していきたい。


●参考文献
Christensen, C. M. (1997), The Innovator’s Dilemma. Harvard Business 
 School Press. (玉田俊平太監修・伊豆原弓訳『イノベーションのジ
 レンマ』翔泳社、2001)
Nørretrandes, T. (1991),The User Illusion: Cutting Consciousness Down to Size.  
  Penguin Books.(柴田裕之訳『ユーザーイリュージョン:意識という幻想』   
 紀伊国屋出版、2002)
Rogers, E. (1982), Diffusion of Innovations. Free Press. (青池 慎一・ 宇野 善康 
 訳『イノベーション普及学』産能大学出版部、1990)


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