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デザイン思考やアート思考の本当の効果とは?

 番外編②のところでも触れたように、デザイン思考に対してはこれまで「生み出されたソリューションが意外としょぼい」などの批判がなされてきた。その一方で、ソリューションとは違った点に注目して、デザイン思考を評価する声も一部にはある。大坪(2021)は別の視点から、デザイン思考を次のように評価している。

「デザイン思考のワークショップに何度か参加し、あるいは自分でファシリテートして気付いたことがある。そもそも普段の会社生活では上司部下-命令報告という形でしか情報がやりとりされていない。個々人がアイデアなり意見なりを持っていても、それが表に出てくることは少なく、ましてやそれが一つの大きな「絵」としてまとめられることはめったにない。(中略)「デザイン思考」ワークショップ後に参加者に感想を聞くと「普段とは違う頭の使い方をしました」と言う言葉をよく聞く。逆にいえば、普段そうした「皆の頭の中の共有、可視化」がどれだけ行われていないか、ということでもある。」



 このように、デザイン思考は「みんなの意見を形にできること」や「現時点での情報と参加メンバーの思考を整理できること」、「日常業務とは違う体験ができること」などの点で効果があるとされている。確かに、他の研究でも明らかにされているように、デザイン思考は「中間的な成果(Intermedi-ate Outcomes)」を高めることにかけては優秀な方法のようである。ここでいう中間的な成果とは、売上や利益などの市場での成果や、新製品導入数や特許数などのアウトプット指向の指標などとは異なる、個人や組織成員の間で知覚されるメリットのことである(下図参照)。


 Jaskyte and Liedtka(2022)は、企業、政府、非営利団体などの多様な組織を研究対象に取り上げ、デザイン思考の実践とそれらの中間的な成果との関係を明らかにした。その結果、デザイン思考の実践はその実践者だけでなく、チームや組織、さらには彼らが活動の基盤とする、より大きなシステムにとっても、多様で豊かな中間的な成果をもたらすことが明らかになった。具体的には、仕事の実施や適応の改善、個人の心理的利益、ネットワーク能力と資源の強化、信頼関係の構築などの効果である。

 また、Robbins and Fu(2022)は、デザイン思考の実行頻度を高めることで、組織の革新能力(organizational innovative capability)の相対的な優位性(ライバル企業と比べて優れている度合)を高め、ひいてはイノベーションの実現にも貢献することを明らかにしている。つまり、デザイン思考の実行は、イノベーションを起こすために有用な資源の蓄積に貢献すると論じているのである。なお、ここでいう資源とは、人的資本(human capital)、社会的資本(social capital)、組織的資本(organizational capital)の3つを合成したもので、それぞれの内訳は、以下に示す通りである[注1]

①人的資本:従業員は創造的で聡明だ、特定の機能や専門に関してプロである、新しいアイデアや知識を開拓しているなど

②社会的資本:問題解決のために協働するスキルがある、情報を共有して相互学習している、異業種の人からアイデアをもらったり交換したりしている、問題を解決するために顧客やサプライヤーとパートナーになっているなど

③組織的資本:組織の有する知識の多くはマニュアルやデータベースに蓄えられている、自社の組織文化には価値ある考えや仕事のやり方が含まれている、組織の構造やシステム、プロセスの中に知識や情報が埋め込まれているなど


 また、上記のような定量研究以外にも、ビジネス現場からの個別・具体的な報告もある。例えば、日立製作所からの報告では、デザイン活動を通じて達成されるものの一つに、従業員のエンゲージメントの向上があるとされている。ここでいうエンゲージメントとは、従業員の仕事や会社に対する思い入れや愛着度合などのことである。一般に、エンゲージメントの向上は職場を活性化し、イノベーションを生まれやすくするとされている。デザイナーは情報を整理したり、可視化したりすることが得意なため、彼らが関わることで、従業員に経営陣の考えや仕事の意義・魅力などが伝わりやすくなるというのである[注2]

 ただ、これらの話を読んでいると、昔どこかで出会ったような不思議な感覚(既視感)に襲われる。そして、その正体はおそらく、アート思考やアーティスティック・インターベンション(artistic intervention)を巡る議論である。実は、それらがもたらす効果も、上で見たデザイン思考による中間的な成果と似ている。なお、ここでいうアーティスティック・インターベンションとは、企業経営へのアートの介入のことで、アートやアーティストの活用を通して社内に刺激を与え、学習や変化を促そう(あるいは、創造的な風土を取り込もう)とする動きのことである(Berthoin Antal,2012)。

  米国の学術雑誌『Journal of Business Research』の2018年4月号では、アートとビジネスに関する特集が組まれ、23本もの論文が掲載されているが、その中に派手な内容のものは一つもない。そこで記されているのは、アートやアーティストの介入によって、メンバー間のコミュニケーションの質が改善された、協働作業の質が高まった、凝り固まっていた人間関係が解きほぐされた、創造性を見直すきっかけとなったなどの(地味な)効果であって、アーティストによる問題提起がインベーションの引き金になったなどの(派手な)効果は一つも含まれていない。

 デザイン思考やアート思考の活用と聞くと、我々はどうしても直接的で即効性のあるものを想像しがちである。しかし、そういった出来事はそれほど頻繁には起きないため、期待値を上げ過ぎない方が良いかもしれない。その意味で、デザイン思考やアート思考(およびアーティスティック・インターベンション)を活用する場合も、アウトプット指向の指標やソリューションの向上よりもむしろ、コミュニケーションの質の向上や信頼構築などの個人や組織成員の間で知覚されるメリットに焦点を当てるべきかもしれない。さらには、そのことを前提に、成果物や目標を設定する方が良いのかもしれない(なお、これと類似の議論は、本編⑲の「デザイン思考と組織文化PARTⅢ」のところでも行う予定である)。
 

[注1]さらに、それらの指標の中身は、Subramanian and Youndt(2005)がベースとなっている。

[注2]『AXIS増刊号 日立デザイン つながっていく社会を支える』2021年4月、40-42頁。



●参考文献
『AXIS増刊号 日立デザイン つながっていく社会を支える』「組織のビジ
 ョンをつくり、エンゲージメントを高める」2021年4月、40-42頁。 Berthoin Antal, A. (2012), “Artistic intervention residencies and their
 intermediaries: A comparative analysis.” Organizational Aesthetics, Vol.1,
 No.1, pp.44-67.
Carlucci,D. and G. Schiuma. (2018),『Journal of Business Research』 “The arts
 as sources of value creation for business: theory, research, and practice.”
 Vol.85, April.
Jaskyte, K. and J. Liedtka.(2022), “Design Thinking for Innovation: Practice and
 Intermediate Outcomes.” Nonprofit Management & Leadership, Vol. 32,            No.4, pp.555-575.
大坪五郎(2021)『みんなで仲良く「デザイン思考」結果を出すなら「A💛ア
 ート思考」』kindle。
Robbins, P. and N. Fu.(2022), “Blind faith or hard evidence? Exploring the
 indirect performance impact of design thinking practices in R&D.” R&D
 Management, Advance online publication. DOI: 10.1111/radm.12515
Subramanian, M. and M. Youndt. (2005), “The influence of intellectual capital
 on the types of innovative capabilities.” Academy of Management Journal,
 Vol. 48, pp. 450-63.


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