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デザイン思考と起業行動 PARTⅣ

 前回はデザイン思考の概念拡張に伴い、その理論的な性格も従来の問題解決から学習プロセスへと変質する可能性があることを述べた。ただ、先行研究の中には、狭義のデザイン思考をイノベーションのプロセスに埋め込むことで、それを学習プロセスに変換することができると主張するものもある。Backman and Barry(2007)は、デザインと学習は共に「経験」を鍵概念とし、親和性が高いと述べている。また、デザイン思考を実行することは、問題解決のプロセスを回すというよりも、むしろ失敗した経験から学習するプロセスに近いとも述べている。このように、Backman 等は、狭義のデザイン思考だけでも、学習プロセスが実現できると考えているようである。

 その一方で、本編⑭のところで見たように、Far and Dyer(2014)は少なくとも狭義のデザイン思考だけでは、イノベーション活動を学習プロセスに変換することはできないと考えているようである。それは、彼らが狭義のデザイン思考だけでなく、リーン・スタートアップやアジャイル開発などの他の方法も併用していることから窺える。また、Ries(2011)も同様に、狭義のデザイン思考だけでは、その実現は難しいと考えている。特に彼が危惧しているのは、学習のサイクルが一つの製品開発の完了と同時に途切れてしまう点である。彼の著書には、「(デザイン思考だと一つの製品の完成によって)すばやい学びも実験も終わってしまうのだ。(中略)スタートアップの場合、こういうやりかたは上手く行かない。現実世界で製品に命を吹き込む作業はあまりに複雑で、それをすべて予測したデザインなど不可能だからだ」(邦訳124頁)[注1]などの記述が見られる。

  このように、狭義のデザイン思考はどちらかと言えば、一つの製品開発プロジェクト内で完結する傾向が強い思考法として捉えられている。そもそも、狭義のデザイン思考のモデルとなったデザイナーたちは、一つの製品を開発する過程で(プロトタイプの作成などを通じて)学習サイクルを回したとしても、製品の完成と共にそのサイクルを終了するような仕事のやり方を採用してきた。彼らにとっては、あくまで未知のイメージを表現した客体を生み出すことがゴールなのである(安井,2014)。しかし、起業行動やイノベーション活動を学習プロセスと見做す立場では、持続可能な事業にたどり着くまで何度でも方向転換を繰り返すことが前提とされている。つまり、個別の製品開発プロジェクトを越えて学習し続けなければならないと考えられているのである。狭義のデザイン思考の中には、このような観点はほとんど織り込まれていない。

  その一方で、一連の製品開発活動を学習プロセスと捉え、個々の製品をその副産物と見做すモノの見方は、アーティストの思考法(アート思考)に近いといえる。アーティストは必ずしも、デザイナーのように未知のイメージを表現した客体を生み出すことをゴールとしていない。彼らにとっては、本編④のところで見たように、自らの創作ビジョンを探し出すことが当面のゴールであり、作品はその学習プロセスで生み出される副産物に過ぎないのである(横地,2020)。そのため、それが見つかるまで大量の作品がランダムに生み出される。そして、それらの作業を通じて満足できる創作ビジョンが見つかると、今度はそれを主張するための作品作りへとシフトしていく。アーティストは、自らが見出した問題意識や新しい価値観を複数の作品に反映させ、それらを一つの塊として供覧する(あるいは、複数の作品をまたいで同種の主張を繰り返す)ことで、人々の価値観を変え、世界の未来を変えようと格闘するのである(Heidegger,1935)。

  このように、先行研究では、アーティストとして熟達するには、造形・表現技法などの上達に加え、創作ビジョンのような創作活動の中核となるテーマを自らの手で形成することや、そのために自身の興味関心に基づいて探索と省察を繰り返し、創作を行う際の価値判断基準を構築することが肝要になるとされている(横地,2020)。

 なお、ここでいう価値判断基準とは、いわば「見る目」を養うことである。キャリアの初期段階では、自分でもアイデアの持つ価値や意義を判断できなかったり、確信を持てなかったりする。その時、信頼できる人にコメントをもらったり、そのコメントにも頷けない場合はさらに一人で考え続けたりする。そのような経験を何度も繰り返して、自分の作品を客観的に捉え直すことで、徐々に作品の価値判断ができるようになる。また、ここでいう創作ビジョンとは、創作を行う際の羅針盤となるもののことであり、作品全体に共通する中核的なテーマのことである。こちらもキャリアの初期段階では明確になっていない場合が多く、それを構築することが当面の目標となる。

 横地(2020)によると、そのような価値判断基準や創作ビジョンは、小さな創作行為(mini-creativity)を積み重ねていく過程で構築されるとされている。彼女は、そのような学習プロセスを「ジェネプロア・モデル(Geneplore Model)」を用いて説明している。ジェネプロアとは、GenerateとExploreを組み合わせた造語であり、イメージの生成とその検証や探索のインタラクションにより、アイデアの拡張・絞り込みが繰り返され、次第にそれが洗練・拡充されていくことを示している(Finke, Ward and Smith,1992)。さらに、このモデルには、実際の創作現場で直面するような物理的な制約や、意外な発見などの要素が組み込まれている。そして、それらを上手く使いこなしたり、積極的に活用したりすることこそ創作活動の本質であり、そのような経験を積み重ねることで、プロとしての創造性(pro-creativity)を手に入れることができるとされている。


 デザイナーとアーティストのキャリア形成には、造形・表現技術の熟達や見る目の熟達など、共通する部分も多い反面、異なる部分もいくつか存在する。特に創作ビジョンの構築は、ほとんどのデザイナーにとってはあまり必要がないものと推察される[注2]。そして、その部分にこそ、狭義のデザイン思考とアート思考の理論的な分水嶺があるのかもしれない。アーティストにとっては、創作ビジョンのような上位目標があることで、個々の作品は最終目標というより、むしろ創作ビジョンに辿り着くまでに生み出される副産物のような存在になる。彼らの創作活動では、満足のいく創作ビジョンに辿り着くまで何度でも方向転換を繰り返すことが前提とされている。つまり、個別の作品作りを越えて学習サイクルを回し続けなければならないと考えられているのである。

 以上で見てきたように、デザイン思考の概念拡張は、その理論的な性格を従来の問題解決から学習プロセスへと変質させると考えられる。その一方で、アート思考はその成り立ちから判断して、学習プロセスとしてのポテンシャルを有していると考えられる。そのため、アート思考を学習プロセスと見做すことができれば、デザイン思考の概念拡張は、アート思考への接近と捉えることが可能になる。少なくともアート思考の本質は問題解決をすることではないため、狭義のデザイン思考よりも広義のデザイン思考(スプリント)の方が、両者の距離は近づくといえる。


[注1] 括弧内は前後の文脈に合わせて筆者が補充した。

[注2] ここで「ほとんどの」と但し書きを付けたのは、作家性の強い一部のスターデザイナーにはそのような傾向が見られるからである。詳細は番外編⑥を参照のこと。

 

●参考文献
Backman, S. and M. Barry, (2007), “Innovation as a learning process:
   Embedding design thinking.” California Management Review, No.50, pp.25-
 56.
Far, N. and J. Dyer. (2014), The Innovator's Method: Bringing the Lean Start-Up
 Into Your Organization. Harvard Business Review Press.(新井宏征訳『成功す 
 るイノベーションはなにが違うのか』翔泳社、2015)
Finke, R. A., T. B. Ward and S. M. Smith. (1992), Creative Cognition: Theory,
 Research, and Applications. MIT Press. (小橋康章訳『創造的認知:実験で探
 るクリエイティブな発想のメカニズム』森北出版、1999)
Heidegger, M. (1935), Der Ursprung des Kunstwekes. Frierdrich-Wilhelm v.
 Herrmann. (関口浩訳『芸術作品の根源』平凡社ライブラリー、2008)
Ries, E. (2011), The Lean Startup: How Today’s Entrepreneurs Use Continuous
 Innovation to Create Radically Successful Businesses. Currency. (井口耕二訳 
 『リーン・スタートアップ』日経 BP、2012)
安井重哉(2014)「ピボット概念による創造プロセスのモデル化」『デザイン
 学研究』第21巻、第3号、36-41頁。
横地早和子(2020)『創造するエキスパートたち:アーティストと創作ビジョ
 ン』共立出版。

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