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自分を何に投影するのか?

 これまで見てきたように、デザイン思考にしてもアート思考にしても、自分自身を深く理解するために、一旦自分でない何かに投影するという部分については共通点を有している。そういったアプローチにならざるを得ないのは、人間は自分との「内なる対話」だけでは、自分自身を深く理解することができないからである。

 ただ、両者の間で決定的に異なるのは、自分を「何に」投影するかという点である。デザイン思考では一旦「他者」に自分を投影し、その人をよく観察することで、自分自身を深く理解しようとする(他者理解を通じた自己理解)。それに対して、アート思考では一旦「作品」に自分を投影して、それと愚直に対話することで、自分が無意識の中に持っている視点を炙り出そうとする。アーティスト自身も作品が生まれるまでは(あるいは、作品が生まれてからも当面の間は)、創作の出発点となったものに気づかない場合が多いからである(横地,2020)。

 このように、デザイン思考とアート思考は共に、自分自身を深く理解するためのツールや方法論として語られることが多いが、アプローチの仕方は大きく異なっている。なお、両者の間でこのような違いが生じる理由は、互いの出自が異なるためと推察される。デザイナーの原研哉氏は自著『デザインのデザイン』の中で、両者の出自の違いについて、以下のように述べている。

「アートは個人が社会に向き合う個人的な意思表明であって、その発生の根源はとても個人的なものだ。だから、アーティスト本人にしかその発生の根源を把握することが出来ない。そこがアートの孤高でかっこいいところである。(中略)一方、デザインは基本的には個人の自己表出が動機ではなく、その発端は社会の側にある。社会の多くの人々と共有できる問題を発見し、それを解決していくプロセスにデザインの本質がある。」(28-29頁)


 これまで述べてきたように、アート思考では、作品を創作してはそれと対話し、内省しては再び創作活動に戻るという作業が繰り返されるが、そのような表現と認知を往復するアプローチは「リフレクティブ・カンバセーション」と呼ばれる(Schön,1983)。そこでは、不完全でも良いので、まずはアウトプットを創作し、それを起点に対話・内省を行い、次なる創作に向かう。そして、それらの行為を繰り返すことで、自分が無意識の中に持っている視点を炙り出そうとする。なお、学習理論では、そのように人々の思考を前進させるために何かを作る行為は「ビルド・トゥ・シンク」と呼ばれ、構築主義(constructionism)としてモデル化されている(Papert and Harel,1991)。


 ただし、リフレクティブ・カンバセーションやビルド・トゥ・シンクはアート思考の中だけに見られる特徴というわけではない。それらはデザイン思考の中にも見られるが、用いられるタイミングや活用目的などが異なっている。アート思考では前述したように、まず作品を創作し、それを自分との対話・内省のための道具として活用する。それに対して、デザイン思考では、まずは他者を観察し、そこで感じたモヤモヤを打ち破るための道具としてプロトタイプ(試作品)を活用する。より具体的には、ユーザーの観察を一通り終えた後に、様々なプロトタイプを作り、ユーザーによる実際の使用場面を観察しながら、改良を重ねていく(Brown,2019)。そのような方法を採用する理由は、それ以外のやり方では、厄介な問題(wicked problem)を理解・解決することが困難だからである。


 ここでいう厄介な問題とはモヤモヤの源泉のことであり、曖昧で流動性が高く、決定的な解決策がない問題のことである(Rittel and Webber,1973)。そのため、開発の初期段階では問題をきちんと定義することができず、ぼんやりした目標しか持つことができない。しかし、それに怯まず、まずは不完全でも良いのでアウトプットを生み出し、それを起点にユーザーや開発メンバーとの対話や内省を押し進めていく。デザイン思考では、このようなアウトプットのことを「プロトタイプ」と呼び、スケッチをはじめ、紙や粘土で作った模型などもそれに含まれる。そして、それらの表現行為を繰り返すことで、解決可能な問題を見出し、同時に解決案も見出していくのである。

 ただし、気を付けなくてはならないのは、デザイン思考にせよアート思考にせよ、その運用にはそれなりの訓練が必要になるということである(Brown, 2019)。それらが優れたデザイナーやアーティストの仕事ぶりをモデル化したものであるなら、いくら形式知化したといっても、その模倣はそれほど容易ではない。持続的で反復的な訓練が必要になるのである。特に、アーティストは前回も述べたように、創作ビジョンを得るまで平均して12‐13年もの歳月を耐え忍んでおり(横地,2020)、創作活動には忍耐力持続力が必要になることが窺える。アーティストが作品を生み出し続けることは並大抵のことではない。絶えず常識に反したことを考え続けなければならないため、膨大なエネルギーが必要になる(電通美術回路編,2019)。それにもかかわらず、多くのアート思考やデザイン思考の関連書籍には、アーティストやデザイナーがどのようにしてその境地に辿り着いたかに関する記述がほとんどない。そこが最も危惧されるところである[注1]


[注1] 同様の指摘は、デザイン事務所「ペンタグラム」のナターシャ・ジェン(Jen, N.)氏によっても行われている。『欧米では「デザインシンキング・ブートキャンプ」と呼ばれる1〜2日間の催しに、人々や企業は何百ドル、何千ドルも払って参加している。「こんな短期間に容易に学べるメソッドで、参加者は本当にすべての問題を解決できるのでしょうか? そもそも、こんなに容易にデザイナーになれるのでしょうか? 私にはまるでトレーニングはしたくないけれど、オリンピック選手になりたいと言っているように聞こえます。この容易さこそ、教育者としてひじょうに危険な考えだと思わざるを得ないのです」』。

『AXIS』「デザインシンキングなんて糞食らえ。ペンタグラムのナターシャ・ジェンが投げかける疑問」


●参考文献
Brown, T. (2019), Change by Design, Revised and Updated: How design  
 thinking transforms organizations and inspires innovation. Harper Collins  
 Publishers (千葉敏生訳『デザイン思考が世界を変える アップデート版』早 
 川書房、2019)
電通美術回路編(2019)『アート・イン・ビジネス:ビジネスに効くアートの 
 力』有斐閣。
原研哉(2003)『デザインのデザイン』岩波書店。
Papert, S. and I. Harel (1991), Constructionism. Ablex.
Rittel, H. and M. M. Webber (1974), “Wicked problems." Man-made Futures,  
 Vol. 26, No.1, pp. 272-280.
Schön, D. A. (1983), The reflective practitioner: How professionals think in  
 action. Basic Books, Inc. (柳沢昌一・三輪健二訳『省察的実践とは何か: 
  プロフェッショナルの思考と行為』鳳書房、2007)
横地早和子(2020)『創造するエキスパートたち:アーティストと創作ビジョ 
 ン』共立出版。

 ●参考ウェブサイト
『AXIS』「デザインシンキングなんて糞食らえ。ペンタグラムのナターシ 
 ャ・ジェンが投げかける疑問」
 (https://www.axismag.jp/posts/2018/10/99156.html)2022年1月12日閲覧。


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