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支援のしごとの現場と経営

7月の頭に、精神科訪問看護事業の話を書き、そこから事業の説明会を全部で6回実施してきました。とてもありがたいことに多くの方に関心をもって頂き、50名前後の医療職の方とお話をすることができました。

今月は8月30日(日)にも説明会を実施させて頂く予定です。こちらから申し込めますので、ご関心ある方は是非ご参加ください。

Yさんの現場実践とストレングスモデル

説明会に参加いただいた看護師の中に、ある病院で先進的な取り組みをリードし、多くの患者さんの回復を実現されている、業界では有名なYさんという方がいました。

その方の書いたものを読む中で、「ぜひ直接お話を伺って、実際にどのような看護をされているか、学びたいな」と思いたち、先日わたしからご連絡し、じっくりお話する時間を頂きました。

色々なお話を伺う中でひとつ印象に残ったのが、Yさんの「患者さんと向き合うときに、まず強みからその人をとらえる」という姿勢についての話でした。

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例えば、症状が重く、病棟に長く入院している患者さんで、場所を問わず放尿をしてしまう方がいるとします。

そうした患者さんを「強み」からとらえるとはどういうことか。

Yさんはこのような患者さんを前にすると、いつも「尿意というみずからの意思をしっかり示すことができている」というところに着目し、そこからその人の「人間らしさ」を理解していく、ということでした。支援者がそうした姿勢で接することが、当人の回復に向けた第一歩になる、というお話でした。

他にもいくつか事例をベースに普段の看護実践をご紹介いただき、わたしにとっては貴重な時間となりました。

こうしたYさんの姿勢や考え方は、福祉の業界でもたびたび言われる「ストレングスモデル」に繋がる話だと理解しています。

そのストレングスモデルを、精神科病院の中で実践するとはどういうことか、具体的なケースやイメージを持つことができ、わたしにとってはYさんの話はとても勉強になりました。(非医療者であるわたしにとっては、理論と実践のギャップを理解する機会は大変貴重です)

ストレングスモデルの本質、有効性とむずかしさ

「強みから人をとらえる」アプローチ(=ストレングスモデル)をわたしがなぜ有効だと考えるかというと、そのアプローチが本質的に「ひとの尊厳を尊重する」ような他者(あえてクライアントとは言いませんが)との向き合い方だからです。

わたしはしばしば、新実在論的な世界観にもとづき、「支援の目的は、当人の世界を回復すること」というような表現をします。

私の精神障害に対する理解枠組みの中では、つまり、「世界を回復する」ためには、尊厳が尊重されていると当人が感じられる状態をつくり出すことが、一つの重要なステップとなっています。

しかし、「目の前にいる他者の尊厳を尊重する」「強みから人をとらえる」という姿勢を支援の現場において常に貫くことは、口で言うほど簡単なことではありません。

以前、イギリスにおける難民の起業支援に関する記事を書いたことがあります(Forbesに寄稿した記事はこのnoteがもとになっています)。

2年前にこの記事でわたしが反省したのは、自分自身が陥っていた「目の前にいる難民のひとの尊厳を十分に理解しない姿勢や、そのひとの強みに着目していない目線」でした。

記事の中で書いた、

「難民というステータスであっても、ひとはひとです。ぼくたちと同様、みずからが望むように生きたいと考えている存在です。」
「ちゃんと人間をみること。だれであっても、ちゃんと人間としてとらえること。バイアスなく。」

という自戒は、わたしの中では、ストレングスモデルにつながる姿勢・視線をどう維持しつづけるか、という話として整理されています。

ストレングスモデルと問題解決モデルとの違い

上記の通り、ストレングスモデル的な視点をつねに保ち続けることは簡単なことではない、とわたしは(恥ずかしながら)考えています。

しかしその背景には、私の経営者としての立場とバックグラウンドが影響しているのではないかな、と今回Yさんとお話をする中で考えました。

「強みから人をとらえる」というストレングスモデル的な姿勢・関わり方は、元来医療が前提とする「問題解決モデル」と、大きくアプローチの発想が異なります(少なくとも、わたしはそう捉えています)。

(Yさんは会話の中で「(わたしのやっている)看護は福祉だ」とおっしゃっていたのですが、この発言もそうした文脈で理解しています)

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元来の医療のモデルである問題解決モデルは、基本的には「プロフェッショナル(=ここでは医療職)がクライアントの問題を見立て、解決策を提示していく」という考え方の枠組みに、状況を落とし込みがちです。

もっと言うと、まず「問題」を発見することに主眼が置かれてしまいます。

もちろん、一般科における医療行為のように、こうした枠組みが有効なケースも少なくありません。

しかし、精神科におけるクライアントとのコミュニケーション・相互行為の中では、この思考モデルはあまり有効なアプローチではないのではないか、というのがわたしの個人的な考えです。

「この目の前にいる医療者は、わたし自身の『問題』を探そうとしている」と当人が少しでも感じてしまうと、その本人の尊厳の尊重になかなか結び付きません。そこに、問題解決モデルがたびたび衝突する限界があるように思っています。

支援の現場に適している(と私が考えている)ストレングスモデルはしかしながら、わたしのバックグラウンドである戦略コンサルティングの思考枠組みと大きく異なっています(そもそも、戦略コンサルティングは、医療の問題解決モデルを一つの参照として発展してきました)。

もっと言えば、戦略コンサルティングにとどまらず、経営の世界も、ものごとは基本的に問題解決モデルで動いています。少なくともわたし自身、今まで経営者として事業を前に進める際には、問題解決モデルに依拠しながら頭を使ってきました。

支援事業の経営に関する現時点の考え

これはわたしの現時点での暫定的な解となりますが、支援の事業を営む際に、問題解決モデルで支援を行うと必ずしもうまくいかないように、ストレングスモデルでの経営も、必ずしもうまくいきません。

2つのモデルを、常にその思考の対象に応じて切り替えていくこと、現場と経営での異なる思考モデルを融合させていくことが、支援事業の経営においては求められると思います。

なお僭越ながら、他の支援事業者をみていると、すべてを問題解決モデルで扱う事業者は支援の質に問題があるケースが多く、すべてをストレングスモデル的な思考(支援的な思考)で扱う事業者は社会的なインパクトが十分に追求できていないケースが多いように思っています。

前職を含めて数年、支援の事業の経営に関わってきましたが、この切り替えをきちんと、意識的に行なえるようになること。

ここにわたし自身まだまだ課題がありますし、一方で、いまから創っていく会社で経営者としての手腕が問われるところだなと思っています。

いずれにせよ、これから創っていく事業の経営者として、大事な課題や今後取り組むべきことに改めて気付かされたように思いました。お時間を頂いたYさん、本当にありがとうございました。



※すごく細かいことなのですが、「尊厳を尊重する」と「尊厳を守る」は、その姿勢の面で微妙ながら大きくスタンスが違うように思っています。「守る」という言葉自体にパターナリスティックな発想が入っているような気がして、本当の意味では尊厳が保たれないのではないかな、などと書いていて思いました。脱線ですが備忘のためのメモとして。

※この支援における現場と経営の「論理の乖離」は、資本主義自体が孕む矛盾から生じているとわたしは考えていますが、その話をすると長くなるので、それはまた別の機会に。

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