『ことばの食卓』食がつなぐ時間と人
武田百合子さんの『ことばの食卓』をご紹介します。
食べ物にまつわる日常を瑞々しく描いたエッセイ集です。
武田百合子さんは、作家の武田泰淳さんの妻として、取材旅行や口述筆記など夫の仕事と日常の暮らしを支えてきました。
それは『富士日記』に詳しく書かれているのですが、なにせ3巻もあるんです。
武田百合子さんの世界観に初めて触れる方は、『ことばの食卓』から入ってみることをおすすめします!
『ことばの食卓』の魅力
本著は、戦後の昭和のリアルな生活様式を窺い知ることができるので、当時の記録としても大変貴重に読み進めることができます。
暗くなりそうな日常も、どこなくウィットに飛んでいて、ニヤリとさせられてしまう魅力にあふれています。
ひと癖ありそうな人物も面白く描かれています。
思わず「こんな人、いるよなぁ!」と唸ります。
どの文章も味わい深いのですが。
『お弁当』の描写をご紹介します。
"一日と十五日だったか、戦地の兵隊さんの御苦労を偲んで、梅干一つと御飯だけの「日の丸弁当の日」があった。
机の間を回って先生が点検した。
蓋をあけると、いつものようにおかずが入っていることがあって、どきりとする。
もう、そのときは、のんきに暮している(と思っていた)家の大人全部を恨む。
おべんと御飯(煎り卵ともみ海苔の混ぜ御飯)か、猫御飯(おかかと海苔を御飯の間に敷いたもの)であれば、私は嬉しい。
そこに鱈子、またはコロッケがついていたりすれば、ああ嬉しい、と私は思う。
そのほかでは⋯⋯⋯梅干しのまわりの薄牡丹色に染まった御飯粒と、沢庵のまわりで黄色く染まった御飯粒。その一粒一粒。(p48)"
戦争と日常の質素なお弁当の対比。
そして、ご飯粒を染めた色。
この短文の中にいろんな情景が見えてきませんか?
「これ、わかるなぁ。」という瞬間、つながる。
食卓はかけがえのない人との記憶
百合子さんの書くエッセイは、食と日常を結びつけながら、その情景を絵のように切り取って見せてくれるんです。
だから、その一瞬一瞬がとてもかけがえのないものに映ります。
「食卓」が読者を結びつける、強力な装置の役割を担っているんですよね。
味わい、匂い、食感を想像させる言葉の魔力。
食文化は時代を超えても普遍的なものであり続けます。
百合子さんの眼のつけどころがユニークで人情味に溢れているのも素敵なところ!
何か食べたくなる。
すると、誰かと食べたくなる。
「死」の気配がそっと存在する
私は『枇杷(びわ)』『花の下』『夏の終わり』『お弁当』が特に好きです。
どの作品も短い中にも、やがて失われていく時間が感じられて、そこはかとなく哀愁を漂わせています。
食べ物の記憶は人との記憶でもあるんだなと、コロナ禍で人と会えない状況だからこそ痛感しています。
食卓は人と共に在ること。
でもたとえ1人でも、食べて生きていかなくちゃならない。
食べることはとても逞しくて美しい行為なんだ。
この本を読むと、ふとそう思えるのです。
生きる原点は食べることにある。
おろそかにしないようにしよう。
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