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寺地はるなさん『声の在りか』声に出さなかった違和感はどこに在るんだろう?

本日は寺地はるなさんの『声の在りか』をご紹介します。

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久しぶりに小説を読んでいて胸が苦しくなりました。

寺地さんの作品を読むのは確かこれで2作目です。

日常で見て見ぬふりをしたり、モヤモヤしながらもスルーしてきた違和感を言葉につむぎだす繊細な視点を持つ作家さんだなぁ・・・と感じました。

みんな一緒の考え方だから、異論を挟めないことってよくある。

自分の本当の気持ちは違うのに、言葉にしたら変な目で見られたり、「出る杭は打たれる」じゃないけど攻撃されそうで躊躇してしまったり。

自分さえ黙っていれば、場の空気を壊さなくて済む。

でもね、飲み込んじゃった声の在りかは?
出されなかった声はどこに沈んでしまったんだろう?

今、どこにいるの?

この本は読む人を選ぶかもしれないな、と思います。

どんな人が読んだらドンピシャなのかと言うと、敢えて言うなら小学生ぐらいまでの子育て世代だと思います。

主人公の希和(きわ)は、小学生の息子の晴基と、夫と3人暮らし。

息子が偏食で小食で他の子よりも少しおっとりしていて出来ないことがあります。

子どもの同級生の母親たちとの付き合いも、うまくいかなくて。
すごく大変そうです。

そんな針のむしろ状態で、小学校の行事に参加する苦痛だとか・・・。

いろいろ丸わかりな感じがして、私にとっては思い出したくないことも思い出されて重苦しくなりました。

うちの子もいろんなことができなくて。
参観日も運動会も見るのが辛かったです。

もちろん、ゆっくりな成長で喜ばしいこともあります。

でも、集団にいるとできないことが際立って見えちゃう。
比べたくなくても、そういう状況だと残酷なまでに目立つから。

障害がある子のお母さんは、みんな強くて笑顔で包み込むような優しさがある人も多いのに。

私は、いつも傷つく。
何度見ても慣れない。

母親なら、大らかに愛さなきゃ。
そういうグルグルしている自分も好きじゃない。

私はちゃんと母親として息子に向き合っているのか、全然自信が持てない。

寺地さんは私みたいに弱音を誰かに言えない、柔らかい部分に光をあててくれる。

その声の在りかを、掬い取ってくれるんです。

この小説の中では夫は家族に関心が薄くて、家事も育児も協力しないという結構ヤバめなモラ夫として描かれています。

希和も夫のイラッとする行動に対して、言葉を呑み込み、期待するのをすっかり諦めてしまっています。

結婚生活の苦しいところもいろいろ描かれているので、独身の人が読むと結婚することが怖くならないかな!などと、勝手に心配になったりもしました。

子どもへの眼差しはやはり本作も優しいです。
子どものSOS、ちゃんと見つけよう。

親だけでなくたくさんの大人との関わりの中で、子どもの本当の気持ちをわかってあげられるように。

この小説の中に登場する、民間の学童保育『アフタースクール鐘』の責任者である要は、どことなく大人になりきれていないのですが、家族に理解されながら要なりにできることで社会と関わっている感じが、なんか良かったです。

要が子どもたちの心の中の言葉を引き出すために、いつまでも待つ姿勢はとても優しくて・・・。

子どもの人権を尊重することを、忘れないようにしなくちゃと。
大事なことだと、改めて気づかされました。

私自身も親としては未熟者です。
毎日、懸命に向き合って、笑顔を増やしていけたらいいなと思います。

そして、日々に飲みこんで言葉にできなかった「声なき声」を代弁してくれた小説に出会えたことは、それだけで癒しのひとときとなりました。

気になる方は、ぜひ読んでみてくださいね。







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