一生懸命小説大賞

 今年の一生懸命小説大賞にもたくさんの応募作が寄せられた。
 ざっと五千作品以上あるという。学校の体育館半分くらいの量だ。

「数だけならすごいことです」

 と、担当の何人かが口々に言う。
 確かにと、山と積まれた段ボールを前に、私もうなづく。


 去年の大賞は、30年スーパーのパートで二人の子供を育て上げたシングルマザーの方だった。
 作品はまあまあだったけど、その十倍の分量の、自分の子育て記録や昭和文学全集読破、広辞苑読破などの頑張った記録や半生をスーパーのチラシ裏に延々つづった努力文章が評価された。
 優秀賞は、原稿三千枚の作品を数万枚の紙に写経した男だった。
 面白いとかは分からない。誰も読めなかったから。
 ただ字は達筆で、頑張った念が込められているのは一目で見て取れた。


 今年はどうもそれに輪をかけて変わった作品が目立つ。
 ざっと見るだけでも、仏像とか車とか、紙束以外の物がある。
 こんなの初めてだ。

 たいていは今まで自分が書いた長編小説100編全部まとめたやつとか、自分の長編小説を外国語にして書いたとか、それからアメリカとか、とにかくどこかを横断しながら書いたとか、果ては城を作りながら書いたなんてものもあった。

 だがそんな彼らも送って来るのはみな手書きの原稿用紙だ。一応ワープロやメールで受付けもしていたが、ほぼ全員が手作りの現物を送って来る。

 だが今回はどうだろう。
 物だ。
 なんでだ。
 ネットか、誰か有名人かなんかに入れ知恵されたかと思って彼らのプロフィールを見ても、テンで共通性が感じられない。
 どうも猿のイモ洗いみたいなパラダイムシフトが起こったのかも知れない。

 仏像を見てみる。近くに寄っていくことで分かったが、それは一つ一つ字で出来ていた。金属でできた文字を接着剤か何かでくっ付けながら、そうやって作られていた。
 一応、頭から足元に向かって文章として読んでいけるらしいが、読めない。というより読みたくない。

 一生懸命だ。それは認める。だがこれ小説か。
 仮にこれが大賞をとって出版されたらどうなる。
 まあ大賞を取っても出版されたことは過去一度としてないのだが。

 次は車だ。トヨタプリウスがそこにはある。
 どうもそのカーナビのメールボックスに、小説が入っているということらしい。いや、メールで送れよ。エンジンいれなきゃ読めないじゃないか。車どうするんだろう。

 あとは、ゴミ袋に入ったゴミが大量にあった。
 袋越しに中をみても湿った雑巾にしか見えない。

 どうもこの作者は、嵐の日だけ外に出て一生懸命にその小説をかき上げたらしい。最初は全国の天気予報を見てわざわざ嵐の県に向かったが、後編の第二部(不死鳥雪子の真実編)からは船で嵐に突っ込んで上下する甲板上で書きあげたとのことだ。


 今回はプロサッカーの主審をしている男性が大賞をさらっていった。
 彼はレッドカードやなんかと一緒にポケットに手帳を忍ばせておき、試合中の時間だけで執筆を行った。そして三年がかりでその短編をかき上げたとのことだ。
 作品もまあまあ面白かった。執筆が中々進まないので、筋や文章を考える時間ができ、これが功を奏したようだ。

 授賞式の日は、スピーチの後で彼が実際に審判をする試合の映像が流れた。
 この試合終了の笛を吹く手前の時間でこの山場を書いたんだとか言って、「ほらここ!」
 と、手帳に何か書き込む自分を指さして周囲を湧かせていた。

 ちなみに優秀賞は、全国の電波塔にのぼって長編をかき上げた男だった。東京タワーやエッフェル塔にも挑戦したらしい。
 小説の内容もまあ読めないことはない。
彼らの作品は、雑誌に掲載されることが決まった。


 このままいけば、本になるかも知れない。

 だが二作品は本にはならなかったし雑誌掲載にもストップがかかった。
 審判は謹慎を言い渡され、電波塔男は逮捕されたからだ。


 本来は一生懸命な登場人物が活躍する小説賞だったのに、なんでこうなったのだろう。


 でも1000通に一通くらい、本当に良いものもある。
 それは分厚さや派手さが当たり前になっているこの大賞においては異例といえる、ハガキ一枚、多くても便せん数枚で送られてくる。
 こういう内容だ。

 この小説を書くために会社を作ったら、成功しました
 海底で財宝を発見しました
 一生懸命やったら新人賞がとれました
 プロの選手になれました!

 私個人の意見を言えば、本当はこんな人たちに大賞をあげたい。ねじ曲がった主旨の求めるところに一番近い気がする。
 でも彼らの投稿は小説ではなく手紙だ。やはりこれは受賞できないし、これが受かると次回どんなものが送られてくるか分からない。

 一生懸命と小説の掛け合わせは毒にもなるが薬にもなる。

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