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燕雀



 作並さんは理解が早い。
 プレゼンの資料を読んだだけで、それがどう発展して、やがて消えていくか、その後どんな類似のものが出てくるのかまで分かる。

 なんでそんなことまで分かってしまうのか、我々は尋ねるのだけど、

「…燕雀いずくんぞ」

 とぼそりと言って、それっきり。
 それも扇かなんかで口元を隠すような言い方なのだ。
 まことに失礼極まりないのだけど、その通りなので言い返せない。

 確かに、彼女のような大空を舞う鷹から見れば、僕らなんてせっせと目の前の荷物を右から左へ移動させる蟻のごときものなのかも知れない。
 そこまでは言ってないけど。



 この前の休日、街で買い物をしていると、作並さんと思われる女性の姿を見かけた。
 彼女は、ところどころパッチワークやバッチを付けたオーバーオールを着ていて、信号待ちをしていた。
 隣の背の高い男の人と楽しそうにおしゃべりをしている。
 あそこの鰻は美味しいだとか、そんな話。
 
 こんな格好をしている彼女を見るのは初めてだった。
 そういえば僕は、彼女の口から「燕雀いずくんぞ」以外の言葉を聞いたことがほとんどない。
 プレゼンの解析も文章だし。

 だから、いったんは彼女と認識したものの、ずっと見ていると、これが本当に彼女なのか不安になってきた。

 少し離れてついていくことにする。自分もその方向だ。
 その限りにおいてはこれは追跡ではないと自分に言い聞かせて。

 彼女が髪をかき上げる。
 首の根元が見える。
 そこには『燕雀』と書かれたオン/オフスイッチがある。

 なんだこれは。

 よく見ると、それは今はオフになっているようだ。
 刺青?
 いや、描かれたものではない。
 やはりスイッチだ。

 彼女たちは道を曲がって、僕の前からいなくなった。


 あれはなんだったんだろう。

 次の日会社へ行くと、彼女はいつも通りの無表情で僕にあいさつをしてくる。
 長い髪はしっかり降ろされてある。

 僕は何とか彼女の首筋を見ようとしたけど、見ることができない。
 今日の彼女はいつもと変わらない。
 ひょっとしたら、あのスイッチは今オンになっているのではないだろうか。

 それとも、あれは違う誰かだったのか。
 それだけでもぜひ知りたいところだ。
 
「作並さん、昨日ちょっと見かけたんだけど」

 僕は彼女にそう言ってみた。
 声に反応してこちらを見る。

「駅前の近くの交差点で」

「それが、なにか」

 これは認めたということだろうか。
 一瞬迷って僕は続ける。

「男の人と一緒にいたよね」

 首筋にスイッチがあるかなんて聞くよりはましだろう。
 彼女は右手を何気なく首筋に回す。
 カチッと音がしたような気がする。

「…えんじゃく、いずくんぞ」

 彼女は据わった目でそう答える。
 
 
 僕は質問を諦めた。
 今間違いなくスイッチはオンになっているのだ。
 

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