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招致

 聞き間違いみたいなことはそんなに珍しいことではないけれど、「承知しました」を「招致しました」と勘違いされて、その翌日には、今年の七夕ふんどし祭りはこの町でやるという噂が役場内で持ちきりになっていた。

 しかもけっして外には言ってはいけないというどうでもいい緘口令まで敷かれている。

 でももちろんそんなのはやってこないし、だいたい昨日招致してくれと言われて承知しましたと言っただけだから、まだ名乗りすら上げていない。もっと言ってしまえば応募用紙に書いてもいない。

 だからこれは完全に町長の勇み足だ。
 でもすでに役場の職員たちの間では、織姫と彦星が今年はどの人気俳優になるのだろうかという話で持ちきりになっている。

 朝行くとそんなことになっていたものだから、私はみんなが集まったところを見計らって、窓の近くで外を見ながらコーヒーを飲んでいる町長にとぼけたふりをして、

「町長、七夕ふんどし祭りがうちにやってくるって本当ですか!?」

 と大きな声で聞いた。
 するとみんなの目が私から一斉に町長へと向く。

 彼は振り返って私を見た。意味が分からないというような沈黙があってから、冷たい声で、

「本当も何も、君が昨日そう言ったのではないか」

 なんてのたまった。
 それでみんなの目が今度は入口近くにいる私に集まる。

「え、私そんなこと言っていませんよ」

 私もまったく動じずにそう言い返す。

 すると状況を分かって来たらしい町長がまた私に何か言って、ギャラリーの目もまたこちらに戻ってきて、なんだかテニスのラリーみたいなことを部屋のあっちとこっちでやって、それで段々とみんなにも状況が呑み込めてきたようだった。


「今間違いだったといえば傷は浅いですよ」と、私はつとめて冷静に言った。テニスで言えばスマッシュだ。

 でも町長の顔にはまったく怯んだところがない。

「間違いって、誰が間違えたんだ!俺じゃない。俺じゃないのに俺が間違えたって言えってか?いい恥さらしだ」

 なんてことを言って結局このことは内密にしておくということになった。
 でもこの間にケータイを見ていた若い職員の一人が、七夕ふんどし祭りのことが、インターネット上でささやかれていると報告する。


 その一報で業務は一時中断し、各人ネットを確認していくと、情報源は役場の公式アカウントからで、「だれがそんなことを!」なんて町長が顔を真っ赤にして怒鳴ると、また違う若い職員が私が上げましたと小さく手を上げ、でもすぐ町長からの命令でやりましたと言い添える。

「昨日の夕方に町長私に、七夕ふんどし祭りがこの町に決まったとおっしゃられて、私ネットにはいつ上げましょうかと聞いたら、早ければ早い方がいいって」

 それで再びみんなの目が町長に集まった。が彼はうるさいとか、俺はやってないとか言って結局私を指さし、みんな私が悪いと言って黙ってしまった。


 それでとりあえず公式メッセージの方は削除し、私は今度こそ昨日頼まれていた七夕ふんどし祭り招致の用紙に必要事項を記入して、町長には今日の郵便に乗せますからと一応そう言っておいた。返事はなかったけど。

 アカウントにはいくつかコメントは寄せられてはいたが、幸い七夕ふんどし祭りの主催者側の目には触れられていなかったようで、まあ記事も消したし、役場内でも緘口令は敷かれてあったしで何とか大事にはならないだろうと、そういうことでこの話は一応終わりになって、我々は業務を再開した。

 でもお昼を過ぎる辺りから少しずつ問い合わせがやってきた。
 七夕ふんどし祭りはやるのか、どこでやるのか、日にちはいつだとかそういうようなことだ。
 高齢者が多く、聞いてみると書き込みを見た孫やひ孫や玄孫が電話で教えてくれたということだった。

 でもそんなことを聞かれたって、誰もこういうことに慣れていないのだ。結局みんな町長の聞き間違いだったと正直に言ってしまった。
 それで翌日には軽率だというような声が上がって、責任が問われることになった。


 町長は最後まで私の責任を問うていたが、結局彼一人だけが役場から去って行った。


 彼のその後の噂はあまり聞かない。最近見た人の話では、後姿が一回り小さくなって、かなり痩せていたということだった。


 そんな一方で私も、あの代々続く町長畑の町長を指一つ動かさずに辞任に追い込んだ魔性の女というようなことになっていた。

 役場にはすぐ新しい町長がやってきた。
 そして私は、その彼と次期選挙を争う三丁目の本郷さんに事あるごとに飲みに誘われたり、何かと頼まれごとなどを持ち込まれるようになった。

 それでどうもそのことで、他の職員たちも私とどう接していいか戸惑っているような節が見え始めた。


 そんな折、七夕ふんどし祭りの招致が正式にこの町に決まったのである。前町長の失職から一か月後のことだった。

 それが井戸端と回覧板で電撃的に町中に拡散された翌日、朝一番に元町長が役場に乗り込んできた。

 入口のドアが開いてすぐ、元町長が勢いよく入って来て、私を見つけると大声で呼び寄せる。
 しかたなくいくと、彼は私の両手をとってじっと目を見つめてくる。

「よく私の後を引き継いで七夕ふんどし祭りをこの町に持ってきてくれた!私が次の選挙で当選したら、君には事務局長になってもらいたいと思う。よろしく頼むぞ、教え子よ!今度酒でも酌み交わそう!」

 そんなことを真顔で言って、陣中見舞いだとキツネ屋の竹炭マカロン饅頭の箱を渡して帰っていく。


 おみやげを手に席に戻ろうと振り向くと、一瞬遅れてその様子を見ていた全員がそ知らぬふりをして、作業に戻っていた。



 この様子だと、明日になる頃には町中に広まっているだろう。外の景色を見ている現町長は、背中でしきりに私を気にしている。三丁目の本郷さんの耳にもきっと届くはずだ。

 分かっている。

 人々の噂では、今や私は現職町長の進退を陰で審議するフィクサーであり、また町を二分する勢力の長から呑みに誘われる魔性の天秤女である。

 そこへ今日、七夕ふんどし祭り招致の立役者であり、前町長から呑みに誘われたという事実も加わった。


 でも次の町長選挙は、前町長が返り咲くであろう。

 何故なら私が彼の飲みの席にいくからだ。

 向こうは七夕ふんどし祭り招致の実績と、私という重要人物の登用で、表も裏も民意は思いのまま。

 一方で私は、町のすべてを手にした町長のさらに上に立つことになる。
 指の動き一つで活殺自在、春にでも夏にでも秋にでも冬にでもできる力を得ることになるだろう。

 これを腐敗と呼ぶのか出世と呼ぶのか、私には分からない。

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