時代に与えられた関心
もし1970年代に大学生をしていたなら、
私は「古いものは改善しよう!新しい建物で新たな時代を築こう!」と言っていたのだろうか。
なぜ私は今、地形や都市の歴史を大切にしているのだろう、街歩きが好きなのだろう、懐古趣味に走るのだろう。
すべて時代に与えられた関心なのかもしれない。
そう思うと、自分が好きなものがぐらぐらと揺れ始める。
時と場所が違えば、好きなものが変わるのか。
何かを好きな理由が、「時代がそう言っているから、流行っているから」だとしたら、私が唾棄すべきと思っている「インスタ映え」や「一過性のスポット」と同じではないか。
本当の「好き」なんてものは存在しないのかもしれない。
1970年代にも、時代に抵抗して「まちの歴史を大切にしよう」と主張した人はいた。そして、時代が今、彼に追い付いたともいえる。
フリーライダーとなって、時代の流れに乗るだけでは、振り回されるだけなのかもしれない。
確固たる意志を持つのはなんと難しいことか。
かしこ
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